2008年4月13日日曜日

夢のテーマ、若手が挑む 新万能細胞iPSの真価/3

(毎日新聞社 2008年4月10日)

「先生、はえてます!」。
05年夏、山中伸弥・京都大教授(45)の部屋に、
高橋和利さん(30)=現助教=が駆け込んだ。
顕微鏡をのぞくと、元のマウスの皮膚細胞とは似ても似つかない
丸い細胞の塊が見えた。
世界初の人工多能性幹細胞(iPS細胞)が誕生した瞬間。

高橋さんらは、皮膚や臓器などに成長した体細胞に
「何か」を入れることで受精卵のようにさまざまな組織に育つ
万能細胞を作ることを目指していた。
砂漠から一粒の砂を見つけるような途方もない計画だったが、
候補の遺伝子は24種に絞り込まれ、これらを一つずつ試すことに。

このとき実験の容器が余り、「せっかくだから」とすべてを入れたところ、
これだけが塊になった。再実験でも同じ結果。
その中に、「何か」である四つの遺伝子があった。

「うまくいく可能性はほとんどない。その代わり、失敗しても面倒見たるよ」。
実験を始める前、山中教授にこう言われた。
高橋さんは同志社大工学部出身、一から生物学に取り組んだ。
この言葉を励みに夢中でやった結果。

リンパ球などの体細胞と胚性幹細胞(ES細胞)を融合させる方法で、
万能細胞作りを目指す京都大の多田高・准教授は
「山中さんらの方法は遠い道だと思ってやらなかった。
だから、すごいって感動している」。

山中教授は、神戸大医学部を出てすぐ、整形外科医に。
難病患者と向き合い、「この病気を治すには基礎研究が必要」と考え、
大学院で薬理学を専攻。
米国留学では一流科学誌に論文も掲載されたが、
96年に帰国すると、研究だけに没頭できる米国の研究環境との落差に
「臨床医に戻ろう」と思い詰めた。

転機は99年12月、奈良先端科学技術大学院大に
助教授として研究室を持ったこと。
新参の山中研究室は学生を集めるため、受精卵を使わず
ES細胞のような万能細胞を作るという「夢のある大テーマ」を掲げた。
そこに、高橋さんら3人の大学院生が集まり、
人のまねではない、人がやらないことをやる」(山中教授)という挑戦。

山中教授は、03年度の科学技術振興機構の研究資金に応募。
面接した岸本忠三・大阪大元学長は
「うまくいくはずがないと思ったが、この若い研究者の迫力に感心した。
研究には壮大な無駄があっていい。
そこから思いがけないものが出てくるものだ」。

岸本さんの言葉通り、研究は失敗の連続。
あきらめかけたこともあったという。
山中教授は、「米国から戻ったときと違うのは一人じゃなかったこと。
若い学生さんやスタッフがいた。だから続けられた」。

研究室のメンバーを引き連れて京都大へ移ったのは05年4月。
そこから一気に24遺伝子を4遺伝子に絞り、
06年夏、世界を驚かせる論文を発表。

再生医療や創薬などの実用化に注目が集まるiPS細胞研究。
その発見は、日本の科学技術を支える「原石たち」の、
向こう見ずともいえる果敢な挑戦から生まれた。

http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=70700

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