2011年5月26日木曜日

「想定過信せず」教訓に 24日でチリ地震津波51年

(岩手日報 5月24日)

1960(昭和35)年、本県沿岸を襲ったチリ地震津波から、
24日で51年を迎える。
この津波で、国内最多の53人の犠牲者を出した大船渡市は、
半世紀を経た東日本大震災の津波で、当時を大きく上回る被害を受けた。
津波で2度被災した市民の証言から、
想定を過信しない備えの必要性が浮かび上がってくる。

「いつかは大きい津波が来ると思っていた。まさかここまでとは」、
同市大船渡町の山口和子さん(80)。
今回は、高台に逃げて助かった。

山口さんは51年前、自宅兼旅館で津波にのまれた。
1歳の長男を抱え、あごまで水につかりながら助かった。
しかし、黒い海は長女と義祖母を奪った。

被災を教訓に、旅館は鉄筋コンクリート造りのホテルに。
今回、息子家族はホテルの屋上で助かった。
自宅は、周囲より高い位置に建てた。
それでも、今回は1階の天井近くまで押し寄せた。

「ここなら大丈夫と吟味して建てたのに…」と浸水痕を見つめる。
今回、沿岸部全域で「ここは大丈夫」と、
逃げずに犠牲になった例は少なくない。
山口さんが高台に逃げたのは、「あまりに大きな地震だったから」

「チリの記憶」が、皮肉にも避難を妨げたケースがあると、
同市大船渡町で被災した大田勝介さん(70)。

大船渡駅近くで、JR大船渡線よりやや海側にあった
大田さんの自宅は51年前、床上90cmほど浸水。
以来、「津波の大きさは来るまで分からない。逃げるしかない」と
家族に言い聞かせてきた。

同じ場所に住み続けた大田さんは、今回「普通でない揺れ」に、
津波襲来を確信して、すぐ避難。
経験が迅速な行動に結びついたが、「線路より山側では、
ここまで来ないというのが常識だった。
自分たちも、もう少し高いところに住んでいたら逃げたかどうか」

同市赤崎町で長年、自主防災組織の運営に取り組んできた
西山謙一さん(73)は、赤崎漁村センターに避難。
51年前と同じ位置で、津波を見た。
「今回の波のスピードはチリの数倍。高さもあった」

西山さんは、住民の動きも注視していた。
同センターの屋上に子どもを逃がす消防団、安否確認する自主防災組織。
混乱しながらも、住民はそれぞれ動いた。

「避難訓練に参加していた人は、ほとんど助かったと思う。
津波はいつ来るか分からない。
災害はいつだって想定外だよ」と、日常からの備えの必要性を強調する。

◆チリ地震津波とは

1960年5月、南米チリ沖で世界最大マグニチュード9・5の地震が発生、
太平洋全域に津波が伝播。
日本には、地震発生から22時間以上たって太平洋岸の全域に襲来。
国内の死者・行方不明者142人のうち、大船渡市が最多の53人。
東日本大震災の津波による同市の被害は5月23日現在、
死者314人、不明150人(市発表)。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110524_4

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