2011年7月23日土曜日

コロンビア中部の貧困の村、見えぬ恐怖 アルツハイマー病遺伝子、6人に1人

(2011年7月14日 毎日新聞社)

南米コロンビアの中部アンティオキア州に、村民の6人に1人が認知症の
アルツハイマー病を引き起こす遺伝子を引き継ぐ村がある。

新薬開発に取り組む世界中の医学者や製薬会社が、「天然の実験場」と期待。
遺伝子を保有する村民の発症時期や病状を観察することで、
どんな薬をいつ使えば効果が出るか、分かる可能性がある。
「自分には間に合わなくとも、子どもたちが発病する前に、
新薬ができるかもしれない」
政府や地方自治体の公的援助が十分に行き届かない中、
住民はわらにもすがる思いで、治療薬の臨床試験に協力。

アンティオキアの州都メデジンから、車で北に約3時間行くと、
人口約1万2000人の農村アンゴストゥラ。
道中、馬に乗った農夫たちとすれ違う。
農家のほとんどが、遺伝する家族性アルツハイマー病の患者を抱える。
国内で遺伝子を引き継ぐ25家族約5000人のうち、
約1800人が村に暮らしている。

患者の一人、ハビエルさん(59)は、「あー」と声を出す。
2年前から、意味の通る会話はできない。
発症したのは、バスの集金係をしていた10年前。
運賃を受け取ったのを忘れて、乗客と言い争うようになり、職を失った。
母親は認知症だった。
兄弟姉妹15人のうち、3人が認知症の末、死亡、3人に症状が出ている。

アンティオキア州出身者は、スペイン語で「パイサ」と呼ばれ、
村の患者が持つ遺伝子は、「パイサ遺伝子」と名付けられた。
平均44~49歳で発症、通常のアルツハイマー病よりも進行が早い。
片親が遺伝子を持っていれば、子どもは50%の確率、
両親なら75%の確率で受け継ぐ。

「未来が描けるのは40歳まで。その先は、病気になるかもしれない」。
ハビエルさんの次男エマーソンさん(21)。

一家の年間収入は、エマーソンさんが看病の合間に畑で作る豆の売り上げ
55万ペソ(約2万5000円)だけ。
最低賃金1カ月分(53万5600ペソ)と大差ない。
6人暮らしの家には、毛布が2枚しかなく、下水道整備率26%の
アンゴストゥラ村の中でも困窮世帯。

患者を抱える家族が貧苦にあえぐ背景には、
社会保障システムの未発達もある。
公的医療保険制度はあるが、腐敗と非効率な運営が障害となって、
きちんと機能していない。
エマーソンさんは、「政府や村からの公的な援助は一切ない」

アンゴストゥラ出身で、現在はメデジンに暮らすカルロスさん(54)は、
7年前に認知症と診断。
祖父と父親は、認知症を患った後に他界、兄弟16人のうち
カルロスさんを含む4人が発症。
1年前には、歩いたり笑ったりできたカルロスさんだが、
今は話すこともできず、自宅のベッドに横たわる。

夫の世話をする妻ネリーさん(43)の母親も認知症となり、昨年亡くなった。
50歳の姉は3年前、認知症と診断。
48歳の姉はスープの作り方を忘れ、46歳の姉は子どもが金を盗んだと言い出した。
「同じ遺伝子を持っているかもしれないと思うと、恐怖にさいなまれる」

ネリーさんは看病に専念するため、自営していた食料品店を手放した。
看護師になった長女のナタリアさん(23)が、家計を支える。
「看病の苦労を、子どもにさせたくない。
『発病したら老人ホームに入れて』と言ってある」
医療知識のあるナタリアさんは、「子どもは産まない」
見えない発病の恐怖が、人々の心に巣くっている。

◇ゲリラから血液サンプル死守--来年秋から新薬開発本格化

アンゴストゥラ村では長年、家族性アルツハイマー病は

「ボベラ(痴呆)」と呼ばれていた。
「魔女の呪い」とされたり、「特別な木に触った」、「洞窟に入った」ことなどが
理由との迷信が流布。
遺伝性の病気との認識がないまま、近親者間の結婚・出産が繰り返され、
患者が増えた形。

パイサ遺伝子を発見したのは、アンティオキア大の
フランシスコ・ロペラ教授と看護師ルシア・マドリガルさん(55)。
マドリガルさんが、患者のいる家族や親族を戸別訪問して血液を集め、
ロペラ教授が患者の診察や血液の検査を続けた。
地道な調査が実り、95年に原因となる遺伝子の変異を突き止めた。

村や近隣一帯は、数年前まで左翼ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)の
実効支配下にあった。
マドリガルさんは99年、採取した血液を持ち帰る途中、ゲリラに拉致され、
1週間、小屋に監禁。
「血液を冷やしておいて。さもないと、だめになってしまう」とゲリラに訴え、
貴重な血液サンプルを死守した。

マドリガルさんも、ロペラ教授も近隣の出身で、病気は人ごとではない。
「患者がいるというので訪ねると、小学校時代の友人のこともある」
ロペラ教授は、母親が認知症。
「認知症が、私を(研究者に)選んだ」と感じている。
「運命と諦めていた村人は、病気だと納得すると、献血に協力してくれた」

ロペラ教授は、米国の国立衛生研究所やバーナー・アルツハイマー研究所と
協力して、12年秋から治療薬の臨床試験を開始する予定。
治験には、パイサ遺伝子の保有者と非保有者それぞれ200人の参加。

アルツハイマー病で、薬の効きが悪い理由の一つは、
投与時期が遅すぎるためと推測。
パイサ遺伝子の場合、症状が出る数十年前から脳の状態に
変化が出るかどうか観察できる。

「いつから認知症の原因となるたんぱく質が脳に蓄積するのか、
いつ薬の投与を開始すれば最も効果的かを調べることができる」(ロペラ教授)。

パイサ遺伝子を持つ家族にとって、新薬開発や治療法の研究は「命綱」。
健康被害のリスクを伴う治験に尻込みせず、積極的に協力する。
ネリーさん一家も、全員が参加を望んでいる。
「一刻も早く治療法を確立してほしい。
夫のためには間に合わなくても、子どもたちの役に立てばいい」(ネリーさん)
との思いがあるからだ。
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◇アルツハイマー病

1901年、ドイツの精神科医アルツハイマー博士が発見した認知症。
脳内に、たんぱく質の一種である「アミロイドベータ」や「タウ」が
蓄積することで、引き起こされる。
パイサ遺伝子のように、遺伝子が発症を決定する症例は全体の数%、
多くの場合、リスクを高める遺伝子と環境の複合要因で発症。
患者数は、世界で約2400万人。
20年後には倍増すると予測。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/7/14/139376/

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