2011年7月28日木曜日

被災地の在宅医療を支援 宮城・気仙沼での取り組み

(2011年7月21日 毎日新聞社)

気仙沼市で、病院まで来られない在宅患者に巡回診療を続ける、
医療関係者のボランティア団体がある。
「気仙沼巡回療養支援隊」(JRS)。

医療機関の多くが被災したため、巡回対象は広範囲にわたる。
6月上旬、支援隊に同行し、被災地の在宅医療事情と課題を探った。

気仙沼市本吉地区の男性(80)は、脳梗塞で寝たきり状態。
震災前から同居の娘(51)が介護、停電で電気式エアマットが使えなくなり、
腰に10cmほどの床ずれが生じた。

「傷を見せてくださいね」。
縁側に面した部屋でJRSの医師、宮地純一郎さん(30)が
床ずれの処置を始めた。
宮地さんは、北海道家庭医療学センターから支援に駆けつけた。

「何日か前から足の指がむくんでいる」
心配する娘に、宮地さんは手を動かしながらも
「気になりますね。いつから?」と優しく声を掛け、
ケアマネジャーらに普段の食事や薬について質問。
約1時間かけて診療。

地区唯一の病院が被災し、男性は月1回の通院ができない。
今は週2回、JRSの訪問で床ずれの治療を受ける。
「ありがたいことです」。娘はしみじみと語った。

JRSは、震災2週間後の3月25日に設立。
市内を巡回した医師が、被災を免れた家に多くの高齢患者が
取り残されていることを憂慮し、医療関係者に協力を呼びかけたのがきっかけ。

実動部隊は、全国から集まった医師と看護師でつくる「在宅医療班」と、
保健師らでつくる「健康相談班」からなる。
医療班は1日約10軒を巡回し、これまで約260軒、訪問診療。
復旧した医療機関に引き継いだが、今も約40軒を担当。
すべての患者を、地元に引き継ぐことが課題。

JRSのコーディネーターを務めた松山市の医療法人理事長、
永井康徳さん(45)によると、最初の壁は、誰が巡回診療を
必要としているかを把握すること。
津波で、行政や医療機関にあった高齢者のデータはなくなっていた。
民生委員らの協力を得つつ、健康相談班がローラー作戦で
市内を回ることから始めた。

医療班も苦労した。
がれきが行く手を阻む中、重い荷物を持って長時間歩き、
懐中電灯の光を頼りに処置した日も。
永井さんは、「最初は1日に2、3軒回るのがやっとだった」

医師の専門分野は、外科や皮膚科などさまざま。
朝夕にミーティングを開き、対処できない場合は引き継いでしのいだ。
永井さんは、「まずは、医者同士が支え合う体制を作る必要があった

震災で、“医療難民”となった在宅患者は高齢者が多く、
家族は被災と介護で疲弊していた。
背景にある少子高齢化や過疎化は全国共通で、
JRSのきめ細かい活動は地域医療のあるべき姿を示した。

JRS本部長を務めた地元の外科医、村岡正朗さん(50)も、
訪問診療の大切さを改めて感じた。
自身のクリニックは津波にのまれたが、6月に仮事務所を設け再開。
「手伝ってくれた多くの人の意志を継ぎ、高いレベルの訪問診療を続けたい」

被災地では、感染症予防や衛生改善を含む総合的な対応が
医師に求められてきた。
JRSを支える「日本プライマリ・ケア連合学会」の
東日本大震災支援プロジェクト本部コーディネーター、林健太郎さんは
「地域でどんな医療が必要とされているか、
現場に出て自分の目と足で探し出すことが、災害医療には重要。
今回の在宅医療支援は、一つの手段となった」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/7/21/139632/

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