2010年3月17日水曜日

親と向き合う(7)常に子どもを中心に

(読売 3月2日)

保護者が学校に拳を振り上げる背景には、何があるのか?

「本人に伝える前、いきなり自宅に連絡され、
説明もなく0点と言われても、納得いかない」
京都府内に住む父親(46)は、中学3年の次男が通う
学校に駆け込み、担任に説明を求めた。

次男は学期末試験で、終了のベルが鳴ってから解答を書き直した。
それを試験官を通して知った担任から連絡があり、
「0点にします。後日、息子さんに伝えます」と伝えてきた。

怒りが収まらない父親に、担任は謝罪し、校長も交えて話し合った。
この結果、父親が腹を立てた理由は、進学を控えた大事な時期に、
当事者である息子を差し置いて対応した担任の姿勢。
点数については、学校側で再検討し、0点と決まったが、
父親は「ルール違反だから仕方ない」と受け止めた。

「担任からすれば、私はモンスターに映ったのかもしれないが、
そのまま黙っていたら、子どもが不幸になると思い、
あえて言った」と父親は振り返る。

都内で開かれた「先生が元気になる集い」。
弁護士や精神科医ら専門家からなる
「新・学校保護者関係研究会」(代表・小野田正利大阪大学教授)。
集まった現役教師たちが、それぞれの役割を演じた。

子どもを隣に座らせ、父親は机をたたき、どなる。
「うちの子は、卒業アルバムに1枚しか写っていない。
すぐに作り直せ!」
校長が、「申し訳ありません。少し時間をいただき、対応を考えます」、
父親は「息子にとっては一生の傷だ」――。

参加者の間では、「アルバム作りの時、名簿を見て枚数をチェックする」
と話題になり、人ごとではない題材。

迫真の演技で、役になりきった後の感想は様々。
保護者役は、「『作り替える』という言葉を引き出したかった」、
校長役は、「謝るところは謝って、何が出来るかを考えた」、
教頭役は、「学校の落ち度。校長に任せちゃおうと思った」
子ども役は、「大人たちに挟まれ、何を言っていいのか分からない感じ」

寸劇を企画した小野田教授は、
「教師は理屈で説明し、保護者は思いで要求する」
教師は、複数の1人として子どもを見る。
保護者は、1分の1、つまり我が子を見る。
そこに、ずれが生じるのは当然。
その間で、子どもが置き去りになることも多い。
「子どもを中心に据え、互いの思いを推し量ることが大切」と助言。

「組織を相手に怒るのは、それ相応の腹づもりが必要。
我慢をため込み、ある時点で怒りが噴き出る。
様々な保護者や地域住民と接点を持ち、怒りの背後を推し量れるのは、
やはり最後は学校。
教師に、親と向き合う気概と同僚との協調性があれば、
出口は見えてくる」と小野田教授。

保護者との関係で悩む教師、学校の対応に不満を抱く保護者……。
連載には、メール、ファクス、手紙で様々な反響が届いた。
共通するのは、「いい方向に変えたい」という前向きな思い。

子の幸せを願う気持ちは、親も教師も変わらない。
人とのつながりが希薄化し、世知辛いと言われる時代にあって、
かけがえのない関係を築ける宝の山が、学校にはある。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100302-OYT8T00277.htm

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