2010年3月15日月曜日

野口研究室、20年前は物置 元商社マン、整備に奔走

(2010年3月8日 共同通信社)

ガーナの首都アクラに入った皇太子さまが、
訪問される予定の「野口英世記念研究室」。

現在、奥の展示室に野口ゆかりの手紙や顕微鏡などが並んでいるが、
総合商社「丸紅」の元アクラ支店長岩田芳晴さん(72)は、
約20年前のことを感慨深く思い出している。

ガーナで、黄熱病の研究中に死亡した細菌学者、野口英世が
研究者人生の大半を過ごした米ニューヨークにも、
駐在経験がある岩田さん。

1987年秋、アクラに着任するとすぐ、コレブ病院に残る
野口の研究室を訪ねた。

ごくありふれた実習室。
奥の小部屋は、薬品の瓶や掃除道具が雑然と並び、
「物置のようだった」

間もなく、野口の助手をしていたというウィリアムズさんと出会い、
"物置"は、野口が好きな葉巻を吸いながら、研究データを
整理していた個室だったと知る。

「ここでよく、プロフェッサー・ノグチに葉巻をもらって一緒に吸った。
『結核が怖いので、栄養を取る』と、バナナと牛乳を毎日欠かさず、
地元の若者には努力することの大切さを説いていた」と
ウィリアムズさんは思い出話をしてくれた。

「博士の部屋を何とかしなければ」。
ガーナ日本人会の会長も務めた岩田さんは、
日本大使館の協力を受け、建物を所有するガーナ保健省を説得。
政府開発援助(ODA)を増やしていた日本の存在感も後押し、
改修の許可を取り付けた。

岩田さんは、一時帰国の際、野口英世記念会から資料を
提供してもらい、92年2月、展示室としてオープン。

訪問前の記者会見で、「博士がアフリカ、世界の医療活動に
果たそうとした思いをしのびたい」と述べた皇太子さま。

岩田さんは、「80年前はクーラーもなく、環境はもっと厳しかった。
ニューヨークから覚悟を決めてガーナに飛び込み、
黄熱病という人類的な課題に取り組んだ野口博士の研究者魂を
感じ取っていただければ」

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/3/8/117051/

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