2011年1月25日火曜日

インサイド:次代の針路 第4部 スポーツ留学生の受難/1

(毎日 1月18日)

高校や大学のスポーツ大会で、留学生の活躍は当たり前。
留学生たちも、受難の時を迎えようとしている。

日本の学生が就職難に悩むように、留学生も学校を卒業した後の
日本国内での受け入れ先がなかったり、
ルール規制で出場が制限されたりするようになってきた。
第4部では、そんな留学生たちの現状や卒業後の足取りを追う。

◇プロの夢、現実と落差

悔しさをかみしめるかのように、涙がにじんだ。
栃木県の社会人野球のクラブチーム、ガッツ全栃木クラブに所属する
日系3世のブラジル人、吉田勉(24)。

03年に来日、高校、大学を日本で過ごした。
羽黒高(山形)では、外野手として選抜高校野球大会でベスト4に進出。
目標はプロ野球だったが、白鴎大1年の時に肩を痛めて、
指名打者に専念せざるを得なくなった。

昨春、大学を卒業する時もプロから声は掛からず、
「プロ野球に進むには、大学のチームの中で一番にならないといけない。
3年生の時には厳しいなと思った」。
吉田は、日本での野球生活を振り返りながら目頭を押さえた。

吉田は、ブラジル・サンパウロ州内陸部の出身。
11歳から野球を始め、中学の時にブラジルの各年代の代表チームが集う
「ヤクルト・ベースボール・アカデミー」に入った。

日本で開催された中学の世界大会に出場し、
甲子園に夏の全国高校選手権を見に行った。
ブラジル人留学生を擁する日章学園高(宮崎)の試合を観戦し、
「甲子園でプレーしたい」と、祖国を離れる決意をした。

◆ブラジルからはゼロに

ブラジルからの留学生は、00年代に入って増加。
ブラジルでは、日系人を中心に野球をする土壌があり、
日本の野球への関心も高い。

アカデミーを運営するブラジル野球連盟の日本在住関係者を通じ、
羽黒高や本庄一高(埼玉)などが受け入れに応じた。
両校では、ブラジル人留学生が甲子園出場に貢献。
曽川博・ブラジル野球連盟日本事務局長は、
「ブラジルでは、甲子園に出場できれば、プロに進めるという思いがあった」

日本の高校に留学してプロに進んだのは、
日章学園高の片山文男(元ヤクルト)と瀬間仲ノルベルト(元中日)の2人だけ。

社会人野球も、企業チーム減少のあおりを受け、採用が厳しい。
吉田と同時に3人が海を渡ったが、2人がクラブチームに入り、1人は帰国。
なかなか夢をかなえられない中、留学生は次第に減り、
今年度、ブラジル野球連盟を介した高校生はゼロ。

◆人材は大リーグへ

ブラジルでアカデミーの校長を務める佐藤允禧さんは、
「日本の人気が落ちたわけではないが、
ここ数年は米大リーグへの関心が高くなっている」

南米にも目を向けた大リーグ球団が、ブラジルの若い選手と
マイナー契約を結び、今では20人近い選手が米国に渡る。

野球が五輪競技から外れ、オリンピック委員会からの補助がなくなったため、
ブラジル野球連盟の財政は厳しく、留学生への支援が困難に。

吉田は大学卒業後、ブラジルへ戻ることも考えた。
「ブラジルでは、野球を続ける環境はない」と日本残留を選択。
平日は、クラブチームから紹介された金属加工会社で、
午前8時から午後5時まで働く。

野球に充てられるのは週末だけで、将来の悩みもあるが、
吉田は「日本語も話せなかった僕が、ここまで日本にいられるのは
留学したお陰。
野球だけでなく、日本を学ぶことができた」と前向き。

夢と現実とのはざまで、留学の意味を問い続ける
ブラジルからの元留学生たち。
佐藤さんは、「大リーグと違って、日本では野球だけでなく、
高校、大学と教育を受け、社会人として一人前に育ててもらえる。
日本への留学を続けてもらいたい」と願う。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/01/18/20110118ddm035050179000c.html

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