2011年1月23日日曜日

山中 伸弥 氏(京都大学 iPS細胞研究所長、2010年京都賞受賞者)

(サイエンスポータル 2011年1月18日)

◆米国と日本の研究環境の違い

私が3年間留学した米国は、日本と研究環境が全く違った。
「頑張って研究を続けるぞ」と、米国から日本へ帰ってきたが、
一年もしないうちに、まるで病気のような状態に。

私は、勝手に『PAD=ポスト・アメリカ・ディプレッション』(米国後うつ病)と
名付けていた。
「もう研究をやめよう」と、本当にやめる直前に。

辛かったのは、自分の研究を理解してくれる人があまりいなかったこと。
帰国後、医学部で研究をしていたが、周りの先生から、
「君の研究は面白いとは思う。
けれども、もっと医学に役立つことをやった方がいいんじゃないか」

日本は、天然資源や人的資源に乏しく、科学技術や知的財産の
基盤となる研究が非常に大切。
その研究を支える科学者が、もっと社会的に認められるような
システムに変えていくべき。
野球の好きな少年たちは、プロ野球選手の姿を夢見て、
プロの世界を目指す。
同じように、科学者が認められる世の中が来たならば、
若い世代の人たちは夢を抱いて参入してくる。

米国の3年間は、充実した研究生活を送った。
サンフランシスコの煉瓦造りの古い建物で過ごした
グラッドストーン研究所のポスドク時代。
ポスドクとは、研究のトレーニングを積む身分である博士研究員。
スタッフに恵まれ、また自分の研究成果をディスカッションする人にも
恵まれ、好きな研究を朝から晩までしていた。

◆共同研究における信頼関係

私は現在、日本と米国双方で研究活動を行なっているが、
多くの人は「患者さんを救いたい」という考えで一致。
共同研究をする際、互いに協力し合う関係をつくれる。
研究のある部分は秘密にせざるをえなかったとしても、
他の部分では協力関係を築くことができる。

共同研究における信頼関係を築くためには、友人になることが大切。
そのため、実際に会って話をすることが重要。

◆留学への道のり

日本で基礎研究の勉強をしていた大学院生時代、
「もっとしっかりした研究者になりたい。
そのためには、日本にいてはだめだ。米国に行こう」と。

わずか3、4年しか研究の経験がない人間なので、
給料を払って雇おうという米国の研究所はなかなか現れない。
ネイチャーやサイエンスなど、科学雑誌をめくり人材募集の
広告ページを見て、自分がひきつけられるような研究をしている
米国の研究所を見つけては、片っ端から応募していた。
しかし、手紙を出しても、出しても連絡は返って来ない。

そんな中で受け取ったのが、サンフランシスコからの返事。
「一度電話で話をしたい」と記されているのを見て、
30分ほど話をした後、「じゃあ契約成立です。
大学院修了後の4月からこちらへ来なさい」との言葉。
これが、大学院修了前の11月。

この時、私を雇ってくれたトーマス・イネラリティ(Thomas Innerarity)
先生の指導の下、サンフランシスコで学んだことが私の基礎に。

◆「ビジョン」と「ハードワーク」

この時代に学んだことを、常に私は心がけている。
それは、「ビジョン」と「ハードワーク」。
研究者として成功するために、人間として成功するためには、
この二つを守ったら大丈夫だと教えてもらった。
米国時代の恩師であり、グラッドストーン研究所のプレジデントでもあった
ロバート・マーレー(Robert Mahley)先生の教え。

私を含めて、日本人は「一生懸命に働いてはいるけれども、
何をしているのかがわからない」という状態に陥ることが。
日本人は、しっかりとビジョンを持つということが苦手。
ハードワークは得意だが。

まず、ビジョンを持っておくこと。
そのビジョンのためにハードワークすることが大切。
科学者を志す若い人へアドバイスしたいことは、
他の人のまねをせず、本当に新しいことに挑戦するために
ビジョンを持って、粘り強く取り組むこと。

『米国後うつ病』の状態から回復し、研究者を続けることができたのは、
二つの出来事のおかげ。
一つ目は、その当時に自分の研究分野だったES(胚性幹)細胞研究が
医学に役立つと注目を浴びるようになったこと。
二つ目は、新しく奈良先端科学技術大学院大学へと移り、
研究室を任されたこと。

この大学は、米国に負けないような研究環境があり、
優秀な研究者と学生が集まっていた。

ここで立てたビジョンが、「受精卵以外の細胞から、
ES細胞のような細胞を作ろう」。
(「受精卵を使う」という)ES細胞の倫理的な問題を解決する、
これに成功したならばどれだけ素晴らしいか。
難しいことだというのは承知していたが、
このビジョンを大学院の学生へ向けて話した。

奈良で、徳澤佳美さんと高橋和利君、一阪朋子さんたちが、
私の研究室のメンバーとなってくれた。
彼らは、私の人生にとってかけがえのない大切な仲間。
彼らの活躍で、iPS細胞(人工多能性幹細胞)の樹立が成功した。

◆山中 伸弥氏のプロフィール

大阪教育大学附属高校天王寺校舎卒。
1987年神戸大学医学部卒業、93年大阪市立大学大学院医学研究科修了、
米国グラッドストーン研究所postdoctoral fellow 、
95年同staff research investigator、
96年大阪市立大学医学部助手、
99年奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授、
2003年同教授、04年京都大学再生医科学研究所教授、
08年京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長、
2010年4月から現職。医学博士。

ES細胞と異なり、受精卵を用いずにさまざまな組織に分化する
可能性を持つiPS細胞を、マウスの皮膚細胞から作り出すことに成功
(06年8月米科学誌「Cell」に論文発表)、新たな研究領域の開拓者となる。
07年、ヒトの皮膚細胞からiPS細胞を作り出すことにも成功。
コッホ賞(08年)、ラスカー賞(09年)、2010年京都賞(先端技術部門部門)受賞。

http://www.scienceportal.jp/highlight/2011/110119.html

0 件のコメント: