2011年1月24日月曜日

スポーツ政策を考える:清水紀宏・筑波大教授(スポーツ経営学)

(毎日 1月15日)

100年後、「まだ見ぬ世代」にどんな社会を残すのか?

経済一辺倒からの価値転換が求められているにもかかわらず、
どんな暮らしが幸せなのか、見えていない。

スポーツは、新たな社会の幸せを先導する一員であってほしい。

スポーツは、ツール(手段)として考えられがち。
経済の再建や医療費の抑制などが、スポーツの目的ではない。
体を動かすことで心を動かされたり、人とのつながりを感じたりする。

そんなスポーツそのものの価値を大事にすることで、
スポーツをする人たちが増えていけば、結果として、
さまざまな社会的な効果が生まれてくるだろう。

スポーツを享受することを、多くの人たちが大切だと認識するためには、
スポーツにおける多様性が対等に受容され、
異質を認め合うようなスポーツ世界を築くことが肝要。

音楽の世界では、カラオケが革命だった。
自分で曲を作って、自分で演奏して歌う。
路上で歌う人たちも珍しくない。
クラシックや世界的なコンクールもあり、実に多様。

スポーツの場合、トップに一元化するような動きがある。
子どものころ学校や地域で、スポーツと出合う。
中学、高校の部活動、大学の体育会と上にいくうちに、
毎日の厳しい練習についていけず、その数は減っていく。

子どもの世代に重点を置いて、政策を考えるべきだ。
一つの種目を選んだら、一年中それしかしないではなく、
多様な種目を多様な仕方で享受することを当たり前にしていく。
そんな豊かなスポーツライフを、余暇として享受できるような
人間を育てていかないと、スポーツは少数派の文化になっていく。

生き生きとした暮らしを掲げるのは、スポーツだけではない。
同じような志を持っている人たちと手が組めないか。
諸外国では、スポーツと文化は一つになって省庁を作っている。

スポーツ行政と文化行政は、一体化してやるべき。
さまざまな分野から知恵をもらっていく。
スポーツの中だけだと保守的となり、未来を開くアイデアは生まれない。

今は、スポーツが公共的な課題になるかどうかの分岐点にある。
総合型スポーツクラブが始まったころに言われた話がある。
「ピアノを習うのに月1万円かかるけど、スポーツはタダ。
それは、スポーツが低く見られているからで、
会費を取ることでスポーツの価値を上げるのだ」

決してタダだったわけではなく、税金で賄われていたということ。
音楽や芸術と違って、スポーツが公共性を持っていたことの証明。
スポーツの公共性について、アカデミズムが中心になって検証を行い、
必要なエビデンス(科学的根拠)を社会に示していかなければならない。
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◇しみず・のりひろ

1961年生まれ。筑波大卒。
日本体育学会スポーツ振興基本計画特別委員会委員長。
日本体育・スポーツ経営学会理事長。
主な研究テーマは、学校と地域のスポーツ経営。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/01/15/20110115dde035070029000c.html

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