2009年8月11日火曜日

多田富雄の落葉隻語 漢方薬 郵送禁止の乱暴

(2009年8月7日 読売新聞)

近年医学界では、「エビデンス・ベイスト・メディシン」という
長たらしい言葉がはやっている。
エビデンス、つまり科学的根拠に基づいた医療という意味。

医学は科学だから、科学的根拠があるのは当然。
昔のような「さじ加減」は通用しない。
薬の投与量は、科学的に決定される。

患者の状態はあらゆる検査によって、正確に把握される。
昔のように、曖昧な聴打診による経験的診断法は排される。

こうして近代医学は発展してきたのだが、それが行き過ぎて、
問題も起こっている。
医者がパソコンばかり眺めていて、患者の顔を見て診察しない。
数値に頼って、患者の訴えを聞かない。

百人百様の病気に、マニュアルどおりの医療しか行わない。
検査結果にばかり依存した最近の医者にありがちな欠陥。
昔のお医者さんは、もっと親身になって一人ひとりを診てくれた、
という苦情が出る。

それを反省し、欧米では患者の愁訴に基づいた医療、
「ナラティブ・ベイスト・メディシン」というのが提唱。
ナラティブ、すなわち物語を基礎にした医療。
患者は、個別の愁訴を持っている。
その物語を聞いて、一人ひとりにオーダーメイドの医療を志す。
現代医療に欠けていた視点。

もともと東洋医学では、それを実践してきた。
漢方医は、患者一人ひとりの症状をよく聞き、
個別の患者に応じて薬を調合してきた。
刻々変化する患者の病状に合わせて調合を変える。
ナラティブ・ベイスト・メディシンは、漢方では何百年も続いた伝統。

難病やがんの末期など、個別性が高い病気の治療には、
エビデンスに基づいた医学だけでは対応しきれない。
一人ひとり個別の対応が必須。
私のような脳卒中後遺症など、一人ひとり症状の程度や質が異なる。
誰一人として、同じリハビリのやり方では通用しない。
異なった病気や障害に対して、医者や療法士は
一人ひとりに対応する治療を施す。

一律に日数で制限するなど論外。
それを厚労省は理解しようとしない。
同じ過ちをまた繰り返そうとしている。

私は二十年来、漢方薬のお世話になっている。
初めは金沢の漢方の名医にかかっていたが、
体が不自由になってからは、茨城の山中の薬草園で
細々と営業している漢方薬局で、仙人みたいな薬剤師に調剤。
個別に相談し、自分に最適の処方をしてもらう。
遠いので、薬は一月分を郵送してもらってきた。
症状の変化は電話で連絡する。

6月から、薬事法が改定、薬を送ってもらうのが禁止。
薬のネット販売を規制したついでに、漢方薬の郵送まで
禁止してしまうという乱暴なお達し。
電話で症状の変化を伝えても、少しでも処方が変わると
もう送ってもらえない。薬がもらえずに泣いている患者も多い。

漢方薬は、患者の症状にあわせて微調整する
ナラティブ・ベイスト・メディシンの典型。
生薬や煎じ薬など、重いものや嵩張るものは郵送してもらうのが
本来の購入法。
それが禁止されてしまった。
遠くに住む高齢者や障害者は、とたんに困ってしまった。

どこででも同じ薬を買うことができるわけではない。
長く同じ薬剤師にお願いし、信頼と経験に基づいて、
自分に合った薬を調剤してもらっていた患者は、途方にくれている。

伝統医薬の価値を再評価することは、世界の医療の潮流。
日本だけ漢方医薬の入手法が、政府によって恣意的に
妨害されてしまうのは許すことができない。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2009/8/7/105471/

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