(読売 6月20日)
バンクーバー五輪を大いに盛り上げた、
カーリング女子の日本代表は「チーム青森」。
青森を地盤とするチーム。
メンバーに、青森県出身者は一人もいない。
もともと盛んだったわけでもない。
そのカーリングが、「リンゴ、ねぶた祭りに次いで、
青森をアピールするものになっている」(青森商工会議所)。
きっかけは、2003年の冬季アジア大会。
大会のため、専用競技場の青森市スポーツ会館ができた。
青森市は、北海道を拠点としていた02年のソルトレーク五輪代表の
小野寺歩らを嘱託の指導員として招き、
06年トリノ五輪のチームが結成。
スポーツの総合大会をきっかけに、選手の受け皿ができ、
競技が根づいた。
地元のバックアップ体制も見逃せない。
トリノ五輪での活躍後、市内の企業がカーリングにまつわる
お菓子やネクタイなどを売り出し、街おこしに一役買った。
バンクーバーでスキップ(主将)を務めた目黒萌絵が所属する
みちのく銀行では、チーム青森応援定期預金を企画。
昨年9月から7か月間、728億円以上の預金を集め、
約365万円をチームの強化費として寄付。
カーリング関連商品の売り上げの一部が、
チームに還元される好循環が生まれている。
バンクーバー五輪の代表チーム5人のうち、日体大に通う
本橋麻里を除き、地元の企業や市役所に就職。
03年アジア大会では当初、カーリングの参加国・地域が
日本、韓国、台湾にとどまり、正式競技入りが危ぶまれていた。
青森協会のメンバーは1999年から、中国の参加を促すために
ハルビンを訪れ、競技の普及活動を行った。
3度も中国を訪れた葛西敏美は、
「ゼロからのスタートだった」と振り返るが、訪れる度に
立派な施設ができるなど、急激な変化も目の当たりにした。
中国の女子は、09年世界選手権で初優勝。
バンクーバー五輪では3位になり、アジア勢初となるメダルを
獲得するまでに急成長を見せた。
8位に終わった日本からみれば、敵に塩を送った感もあるが、
「チーム青森もあれだけやってくれたし、
アジア勢が五輪でメダル争いできる競技になったことを考えれば、
やったかいはあった」と葛西に悔いはない。
「マイナーな大会に金を使って、という批判もあった」と葛西。
五輪などの総合スポーツ大会は、地元を活性化させ、
その波及効果は国境を超える。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/rikkoku/ri20100620_01.htm
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