2011年3月3日木曜日

インサイド:トヨタとスポーツ/1 御曹司の仕掛け 社の士気高揚に利用

(毎日 2月22日)

自動車の国内販売シェア第1位を誇る、トヨタ自動車。
グループ企業も加わった所属のスポーツチームが、
10年度はプロ・アマを問わず、数々の栄冠を手にした。

「100年に1度の不況」と言われた08年のリーマン・ショックで、
企業スポーツが、休廃部に追い込まれる中、
トヨタは自社のリコール問題までもが続く苦境に立たされても手放さず、
日本のスポーツ界のリーダー役を担う。
総資産約30兆円に上る巨大企業のスポーツ戦略を探る。

「全国トヨタ販売店代表者会議」。
約290ある販売会社のトップやトヨタ役員ら、
スーツ姿の1000人を前に、ユニホーム姿の一団が登壇。

今年度全国優勝を果たした硬式野球と女子ソフト、
陸上長距離の各部監督と部員が謝意を述べ、
連覇を誓うと、大きな拍手が起きた。

年初の恒例行事に、初めて運動部が招かれた。
豊田章男社長は、「試合に出た選手だけでなく、
裏方を含めた総合力の優勝」とたたえ、
販売店を含めたオールトヨタとしてのチームワークの重要性を訴えた。

一時の危機的状況からは脱したとはいえ、景気低迷が続く日本経済。
自動車業界も例外ではない。

スポーツを組織の引き締めと士気高揚に利用して、
本業のテコ入れを図るのは、五輪を国威発揚に使う
政治家の手法と重なる。

会議は、運動部に社業を、より意識させる役割も果たした。
トヨタの国内スポーツ躍進の始まりは、
09年秋のF1撤退と、時期をほぼ同じくする。

◆歴史的転換のF1参戦

F1参戦の表明は、奥田碩社長時代の99年。

世界でブランド力を向上させ、シェア数%にとどまる欧州などでの
販売拡大につなげる狙い。

年間経費、数百億円とも言われるF1への挑戦は、
地方都市に本社を構え、1円単位のコスト削減を地道に続ける
経営が、「乾いたぞうきんを絞る」と評されるトヨタの歴史的転換。

参戦した02年以降、販売台数を毎年50万台規模で急激に伸ばし、
08年、米ゼネラル・モーターズを抜いて世界一に。

同年秋のリーマン・ショックの影響で、71年ぶりの営業赤字へ転落。
大市場の米国に偏重し、販売店から、「国内を向いていない」と
批判を浴びたトヨタの拡大路線は行き詰まった。

「原点回帰」を掲げ、早期黒字化を最重要課題に、
豊田社長が09年6月に就任。

子会社・富士スピードウェイでのF1日本GP開催を中止。
秋には、8年間未勝利のまま、世界一へ突っ走った
「よき時代」の象徴から完全撤退した。

◆国内スポーツへシフト

縮小の一方で国内、地域重視を強く打ち出す。
バラバラだった各運動部のインターネットホームページを
集約したサイト「GAZOO(ガズー) SPORTS」を開設。

ガズーは、画像と動物園のZOOを組み合わせた造語。
選手や試合の様子を、写真やブログで紹介し、
閲覧者も感想を返して、プロ選手から一般愛好家までが交流する場に。

学生時代、ホッケーで日本代表に選ばれた豊田社長には、
サイト広告の収入で、マイナー競技部を支援する構想もあり、
「子どもたちも、自分の写真や動画が載れば励みになる」と、
気軽に投稿できる仕組みも目指す。

4月、張富士夫会長が日本体育協会会長に就く。
「側面支援したい」という豊田社長だが、こうした取り組みは、
いずれも本業を意識したもの。

大会参加や観戦に伴う移動に、車の利用機会が増えれば、
国内シェア5割のトヨタ車も売れる算段。

愛知県内の一企業から、世界的企業に成長するにつれ、
「自動車の運転免許も持たずに入ってくる社員もいる」ほど質が変わり、
愛社精神が薄れたとの指摘。

創業者・喜一郎を祖父、章一郎名誉会長を父とする創業家直系の
豊田社長が、影響力を自覚しつつ、先頭に立って
自社のスポーツチームを応援する。

その頭の中には、常に自動車会社の経営者としての
冷徹な計算がめぐっている。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/02/22/20110222ddm035050123000c.html

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