2011年3月1日火曜日

スポーツ政策を考える:田里千代・天理大准教授(スポーツ人類学)

(毎日 2月19日)

スポーツの世界には今、閉塞感が漂っている。
社会は、多様性を認めて、受け入れる方向に変わっているにも
かかわらず、スポーツは強さや速さという、
近代スポーツを特徴付ける一つのベクトルしかないように感じる。

体育が苦手な娘を持つ母親の投書が、新聞に載った。
自分自身も走り方を教えられないので、
運動会に備えて体育の家庭教師を頼んだが、
本来は学校の体育の授業で教えてほしいと。

国語や算数などのテストでいい点を取るように、
運動会でもいい成績を収めないといけない、という発想が
浸透していることに驚いた。

文部科学省のスポーツ立国戦略は、
オリンピックに出場するようなトップアスリートを支援することに
重きが置かれ、国の力を世界にアピールする手段として、
スポーツを使っているように思える。

スポーツとは何か?

路上や空き地で踊っている若者たちがいる。
スポーツではないと、大人は言うけれど、ダンスも身体運動で、
彼らはそれで自己表現をしている。
最近は、登山やジョギングを楽しむ人たちも増えている。

そういう一般の人たちとトップのスポーツには優劣がないのに、
多様な在り方を認めない。

スポーツの定義は、時代や社会によって変化する。

スポーツマンシップやフェアプレーは、
キリスト教的価値観や英国の近代社会の世相を反映しながら、
スポーツをよりよいものとして演出するために、
付与されていった歴史。

体育の教員を目指す学生たちに、言っている。
「ちょっと立ち止まって振り返り、今は木に花は咲いているが、
その根っこはどうなっているのか、考えてほしい。
見えない根っこが腐ってきたら、その木は倒れてしまう」。

スポーツは、子どもたちに夢と感動を与えて、
人格の形成に役立っているのか?
アスリートは、青少年のモデルになっているのか?

食の世界は、スローフードの登場によって、幅が広がった。
じっくり味わって、時には野菜から栽培して、
という食との関わり方もあることを、新たな価値観として提示。

スローフードという発想や生き方は、
これからのスポーツを考えるうえで、ヒントになる。

伝統スポーツや民族スポーツは、速さや強さだけではなく、
独特な美しさや動物をまねた動きなど、競う基準や意味もさまざま。
生活に欠くことができないものとして、受け継がれてきた。

各駅停車みたいなもので、ゆっくり風景を眺めながら季節を感じる。
早く目的地に運んでくれる新幹線もいいが、
気が変わったら乗り換えたり、後戻りしたりしてもいい、
各駅停車という、違う旅の楽しみ方があってもいい。

スポーツに限らず、多様なあり方を認める社会になっていけばいい。
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◇たさと・ちよ

1968年生まれ。カナダ・レスブリッジ大卒。早大大学院修了。
日本スポーツ人類学会理事。「知るスポーツ事始め」(編著)

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/02/19/20110219dde035070033000c.html

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