2010年9月24日金曜日

スポーツ政策を考える:長田渚左・ノンフィクション作家

(毎日 9月18日)

1980年のモスクワ五輪ボイコットは、
「スポーツが政治に屈した事件」として記憶。

日本政府は、補助金打ち切りをちらつかせながら、
JOCや各競技団体に不参加の圧力をかけた。

財政的な自立を目指して、JOCは1989年、
日本体育協会から分離独立した。
今でも、JOC予算の3分の1は国庫補助。
この30年、何も変わっていないのではないかという思いが強い。

今回、文部科学省がスポーツ立国戦略をまとめた。
国とスポーツ界との関係について言えば、
文科省がこう言っているから、スポーツ界もこうしようという
関係が続くとすれば、好ましくない。

互いの関係を、もう一度確認しておく必要がある。
国は財政的な援助をするが、介入、支配はしない。
スポーツ側は、公費をもらっている以上、公共の福祉のために
貢献できることをやっていく。
立国戦略には、互いに対等であるというパートナーシップの原則を
盛り込まなければならない。
そうでないと、30年前の出来事が繰り返されてしまう。

ボイコット後、各競技団体は、社会の中でスポーツはどうあるべきか、
ということを考えて活動してきたのだろうか?
企業から支援を受ける際、税金が免除もしくは軽減されるような
取り組みをすべきだった。
税制上の優遇措置があれば、企業はもっとお金を出しやすくなるし、
国にばかり頼るようにはなっていなかった。

スポーツに対する人々の知識は増えたが、
社会におけるスポーツの地位は依然として低い。
テレビのニュースキャスターをしていたころ、
突発的な事件が起きると、スポーツニュースだけがカットされた。
政治や経済のニュースは飛ばない。
天気予報も、重要な関心事だから飛ばない。

スポーツは、高級で高尚なものになる必要はない。
ただ、もっと理解が深まってほしい。
牛乳は栄養があると言った時、疑問を持つ人はいない。
それくらいの位置に、スポーツも行きたい。

スポーツは本来、だれもが楽しめる、取っつきやすいものなのに、
いくつものハードルがある。
スポーツは、やる人がやって、やらない人はやらないでは、
大きなうねりにならない。

年間3万人が自殺するこの国で、スポーツができることは
もっとないのだろうか、と常々考えている。
生きていて苦しくなることはあるが、ジョギングをしたり、
泳いだりすると、気が紛れて、あした考えようとなる。

30年後、スポーツは変わっているのか?
トップダウンではなく、それぞれの領域を超えた横のつながりを
大事にしながら変えるんだ、という気概を持って努力していきたい。
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◇おさだ・なぎさ

1956年生まれ。桐朋学園大卒。
スポーツゴジラ編集長、NPO法人スポーツネットワークジャパン代表理事、
早大講師。「『北島康介』プロジェクト2008」など著書多数。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2010/09/18/20100918dde035070030000c.html

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