2010年11月23日火曜日

スポーツ政策を考える:井谷恵子・京都教育大教授(体育科教育学)

(毎日 11月13日)

「すべての人々のスポーツ機会の確保」、
「安全・公正にスポーツを行うことができる環境の整備」が、
スポーツ立国戦略の基本的な考え方。

実際には、競技スポーツに重点が置かれていて、
トップアスリートの育成・強化や、国としての一体感の醸成などに
大きな狙いがあるのではないか。

人口の半分を占める女性や高齢者、障害者、子どもたちを含めた
サイレントマジョリティーの存在は、立国戦略をまとめた人たちの
視野の外にあるようだ。

子どもを持つ女性が、ベビーカーを押しながら、
ウオーキングやジョギングをしたいと思っても、その環境がない。
無理もないと思うのは、スポーツそのものが男性中心で、
強いことが価値を持つからだ。
大きくて、筋肉があって、脂肪が少ない方が勝ちという原理が
近代スポーツを支えている。

健康な体づくりや医療費の削減、経済効果など、
スポーツがツールとして利用されている印象が強い。
楽しさより厳しさが求められ、レクリエーション的なスポーツの価値は
競技スポーツよりも低くみられている。

すべての人々がいつでも、どこでも、いつまでも
スポーツに親しむことができる生涯スポーツ社会
実現するためには、強さや速さ、勝敗などを超えたものを
目指していかないと難しい。

女性や高齢者だけでなく、スポーツへのアクセスが限られる男性や
多様な性を持つ人々もいる。
そういう人たちに、視点を置くことで、
スポーツのさまざまな可能性が見えてくる。

スポーツの背骨、土台を守っていく。
それは、体を動かすことの楽しさ、面白さ、壮快さ。
健康を損なうことが分かっていても、やってみたいと
思わせるものを、スポーツは価値として内在。

日本の学校体育は、恵まれた環境にある。
小学校から中学、高校までの計12年間、毎週2~3時間の体育の授業が
必修で行われ、大抵の学校には運動場、体育館、プールがある。
こんな国はほかにない。

学校で教科として、体育・スポーツを教えるのはなぜか?
音楽や美術と同じように、次世代に伝えていくべき
価値のある文化だからだ。
そこを押さえていないと、単にうまくなればOKとか、
勝った負けただけで終わってしまう。
それでは、時代や社会、経済の状況が変われば、
切り捨てられてしまう恐れがある。

スポーツを文化としてとらえるような意識を、どうつくっていくか?
どんな知識が必要なのか?
スポーツとどうかかわっていけばいいのか?

「すべての人々」とは何かを考えながら、
勝敗、順位、記録など競技に偏っている日本スポーツの
コンセプトをチェンジしていく必要がある。
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◇いたに・けいこ

1954年生まれ。神戸大卒。
「スポーツ・ジェンダー学への招待」(編著)、
「スポーツ倫理の探求」(共著)。
日本スポーツとジェンダー学会会長。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2010/11/13/20101113dde035070025000c.html

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