2010年11月22日月曜日

朝鮮の医学書「東医宝鑑」 吉宗、庶民にも販売

(2010年11月13日 読売新聞)

8代将軍徳川吉宗が、医療改革のために朝鮮から入手、
翻訳のうえ各大名に配った医学書「東医宝鑑」を、
それほど高くない価格で庶民にも販売していたことが、
徳川宗春が尾張藩主になる前に治めた陸奥梁川藩(福島県伊達市)の
庄屋文書で明らかに。

貫井正之・名古屋朝鮮史研究会会長(72)は、
「分かりやすい内容とはいえ、大部で貴重な医学書。
吉宗が、そこまで評価して広めようとしていたとは驚きだ」

梁川藩で、「東医宝鑑」(全25巻)の庶民向け販売のお触れが
回ったのは、享保15年(1730年)4月。

「このほど価格を引き下げたので、百姓、町民にもよく知らせ、
希望者に買い取らせるように。
上本は78匁、次本は60匁」などと書かれている。

基は、3月に幕府が全国に出したお触れで、
同藩では「百姓、町民」と付け加え、セールの対象をより明確。
当初の価格は不明、60匁が1両、6-10万円に相当。

「東医宝鑑」は、朝鮮王朝の宮廷医官だった許浚(ホジュン)が編さん、
1610年に完成。
当時の東洋医学界では、最高峰の医書とされ、中国でも何度も出版。
昨年、ユネスコの世界記録遺産にも選定。

吉宗は、対馬藩を通じて同書を入手。
朝鮮通信使との医事問答などを通じて、朝鮮の医療事情に詳しく、
その知識を江戸の小石川養生所の開設、全国の薬草調査、
朝鮮ニンジンの栽培などに生かしたうえ、同書の普及にも努めた。

長年、同書を研究してきた貫井さんは、
「吉宗が普及させたのは、各藩の御殿医や有力な町医者レベルまでと
考えられてきた。
『家庭の医学』書的な役割を果たせると考えていたことになり、
吉宗の同書に対する評価を再検討する必要があるだろう。
同様のお触れが、他藩にも残っているか調べたい」

医書「東医宝鑑」の編さん完成400年を記念し、
国際シンポジウム「東アジアの文化交流-『東医宝鑑』許浚、
そして東洋医学を語る」が、名古屋国際センターホールで開催。

貫井さんの基調報告、韓国の全世一・前延世大学校医学部教授の
特別講演に続いて、金夬正・許浚博物館長、
董福慧・中国中医研究院主任医師、小川晴久・東京大名誉教授、
安井廣迪・安井医院長をパネラーに、
「東医宝鑑」が東洋医学に与えた影響などを討論。
NPO法人フレンド・アジア・ロード主催。
参加費1000円(資料代を含む)。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/11/15/128317/

0 件のコメント: