2011年3月11日金曜日

スポーツ政策を考える:菊幸一・筑波大教授(スポーツ社会学)

(毎日 2月26日)

メディアは、勝った負けたの話題は提供する。
スポーツは、人間にとって大事で、価値あるものとして伝えているだろうか?

スポーツが文化として残すべきものであるならば、
試合の結果だけでなく、プロセスの中に大事なことや
意味があることを、そのプロセスを自ら味わい、楽しむことを伝えてほしい。

登山ブームと言われている。
中高年者は頂上に到達しなくても、川のせせらぎや森のざわめき、
鳥のさえずりを聞いて心地よさを感じ、自然との一体感を味わっている。
競争ではなく、体と環境が直接向き合う世界が、
多くの人を引きつけているのだと思う。

トップを目指すアスリートと違い、一般の人は山登りにしろ、
ランニングにしろ、さまざまなスタイルでスポーツを楽しんでいる。
日常生活圏域のスポーツライフを充実させていくためには、
車ではなく、人の流れを優先させた環境整備を図っていくことが第一で、
ただスタジアムや体育館などの箱モノを造れば済むという話ではない。

民主党が言っていた「コンクリートから人へ」はとても重要で、
すべて人間の体から発想していくことが求められている時代。

子どもの体力が低下している問題で、子どもは遊ばなくなった、
体を使わなくなったと大人たちは嘆く。
駅にエレベーターやエスカレーターができれば、
子どもだって階段を上るより、便利な方を選ぶ。

かつて町中には、子どもたちの遊び場がたくさんあった。
道路が行き止まりになった先には空き地があり、
車が入って来ないので、子どもたちはそこで自由に遊んでいた。

車のための道路を優先させて、利便性を高めていく中で、
路地裏は消えた。
子どもたちの遊び場を、よみがえらせる街づくりの政策が求められている。

スポーツの世界では、サッカーが手の使用を禁じているように、
日常の生活ではあり得ないような課題が設定。
いま自分が持っている力と課題との距離を測りながら、
努力したら達成できる課題を設定する。
その課題を克服していくプロセスの楽しさを味わう。

これは、社会がどんなに変化しても変わらないスポーツの本質で、
その営みは、社会のいろいろな課題を設定して克服していくプロセスと同じ。

もしスポーツが、次の世代に残せるものがあるとするならば、
他から与えられたのではなく、自ら設定した課題にチャレンジしていく
楽しさを味わう営みだろう。

手段としてのスポーツ、つまり教育的な効果があるから、
健康のためにいいからなどではなく、スポーツの原点である
プレーすることの素晴らしさを、子どもたちに伝えていかなければならない。
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◇きく・こういち

1957年生まれ。東京学芸大卒。日本スポーツ社会学会理事長。
「『楽しい体育』の豊かな可能性を拓く」(編著)、「『からだ』の社会学」(編著)

http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2011/02/26/20110226dde035070018000c.html

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