2011年3月8日火曜日

医療現場に仏教を、「臨床僧」誕生 介助法など習得、今夏までに派遣開始

(2011年2月28日 毎日新聞社)

患者やその家族が、心穏やかに過ごすための手助けをしようと、
僧侶の有志の会「臨床僧の会・サーラ」が、京都市で発足。

代表は、禅僧で医師でもある対本宗訓さん(56)。

対本さんは、臨済宗仏通寺(広島県)派の管長まで務めたが、
「医学が扱う生命と、宗教が説く『いのち』の双方を知りたい」と、
45歳で帝京大医学部へ入学し、医師になった。

医学部の6年間、命という言葉がほとんど出てこなかった。
科学だけでは、患者の『死んで私はどこへ行くのか』という
質問に答えられない。
かと言って、衣を着た僧侶がいきなり病室で説法しても、
患者には届かない。
日常の言葉で、法を説く力が求められる

免疫力が低下している患者もおり、知識なく病室に入るのは危険。
会では、参加希望の僧侶にヘルパーなどの資格を取ってもらう。

人体の基本的な仕組みや医療倫理の基礎を研修し、病院で実習。
教義や説法は脇に置き、まずは食事や入浴の介助、
花壇の手入れなどを通して汗をかき、患者に信頼してもらう道を取る。

多くの病院にとって、僧侶は葬式イコール死のイメージが強く、
白眼視されがちなゆえ、僧侶の派遣を長続きさせる
システムづくりを重視している。

僧侶の宗派は問わないが、現在は臨済宗の禅僧約30人が参加を希望。
長野県下諏訪町の福田精裕・慈雲寺住職(43)は、
僧堂で修行中に父母が相次いで病気で倒れ、見送った経験。

「修行してはいても、介護中は精神的に参った。
死期が近づいたり、介護が長引いて苦しんでいる人を今度は助けたい。
求められれば、人は死ななくてはならず、
死は受け入れるべきものだと語らせていただく

事務局長の児玉修さん(63)の口調は厳しい。
エリートコースを歩んだ傲慢な医者と、悩み苦しむ人に対して
何もしない怠慢な僧侶、どちらも動かすのは大変だ。
当面は、貴重な残り時間を無為に過ごさざるを得ない
終末期の患者のために働く。
決してボランティアではなく、死を語れる存在の僧侶として
受け入れてくれる病院を探している」。

今夏までに派遣を開始する予定。
事務局の電話とファクスは(075・954・1005)。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2011/2/28/133077/

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