(サイエンスポータル 2008年12月26日)
日本人4人のノーベル賞受賞にわいた年だったが、
ノーベル化学賞受賞者の白川英樹氏が、雑誌「科学」1月号の巻頭言で、
ノーベル賞の報道について苦言を呈している。
直接批判されているのは、氏を含め3年連続でノーベル賞受章者が
出たときのメディアの取り上げ方だ。
「とてもまともな報道とは思えなかった」、「興味本位の報道」と指摘。
今年の報道について直接の批判はないが、
「どうしてノーベル賞だけが大騒ぎになるのだろうか」
という疑問を呈している。
「メディアの取材と、研究内容や受賞の本質を突いていない
報道に対する違和感」。
自身の受賞時について、このような感想を述べている。
科学(技術)部を持つ新聞・通信社側からは、
「受賞対象になった業績についても、相応の記事は出している」
という反論も聞かれそうだ。
「なぜノーベル賞だけが大騒ぎになるのか」という指摘と併せて、
アカデミズムとジャーナリズムの間で、大いに議論を交わしてみても
よいのではないだろうか。
白川氏の言うメディアを新聞、通信、放送、雑誌と考えると、
確かにこれらの媒体にとって、ノーベル賞が大きな報道対象になるのは
日本人が受賞したときにほぼ限られる。
外国人が受賞したときは、特別の場合でもなければ、
受賞理由もそれほど詳しくは報じられないだろう。
どういう研究業績に対して賞が授与されたかより、
だれに対して授与されたかが、普通の人のより大きな関心事。
氏は、次のような疑問も投げかけている。
日本学士院賞や恩賜賞の受賞者を伝える報道の扱いが、
日本人のノーベル賞受賞時に比べ、小さいのはなぜか。
これに対しても、メディア側の言い分はありそう。
毎年日本人がもらうことが分かっていて、それも人数も結構多い賞の報道と、
いつ日本人がもらうか予想が難しいノーベル賞のニュース価値が
大きく異なるのは、当然ではないか、と。
ただし、「メディアにはノーベル賞関係だけでなく、
科学・技術関係のより充実した報道をお願いしたい」という
白川氏の要請に、科学ジャーナリズムは何の異論もない。
白川氏も、メディア側にばかり注文を付けているわけではない。
科学者・技術者にも、研究成果を専門外の人たちにも分かりやすく、
研究の意義と成果を語りかける努力を求めている。
例えば、日本学士院賞がどのように決まるのか、といったことは
メディアにきちんと説明されているのだろうか。
賞を出す側も、「これは立派な賞だ」と言うだけでなく、
メディアにも一般の人々にもそう思わせる努力がもっとあってもよいと思う。
http://www.scienceportal.jp/news/review/0812/0812261.html
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