2008年4月22日火曜日

小児救急の改革を進める

(読売新聞 2004年9月14日)

中澤誠さん(61) 東京女子医科大学教授

「小児救急の行方は、子どもたちの未来に直結。
親たちと小児科医たちとが共に歩み寄らなければ、道は開けない」

患者の夜間のたらい回しや小児科医の過労死などの悲劇が続き、
“瀕死”の状態とまで言われる小児救急診療
日本小児科学会の担当理事として、状況を改善するための構想をまとめた。

「患者と小児科医との共倒れだけは避けなければ。
一定の地域ごとに、小児科医が年中無休で確実に診療する拠点を置き、
医師をそこに集約する


だが、実現には幾つもの壁がある。
「小児科医が不足する一方、夜間の病院に軽症患者が殺到し、極度に忙しい。
医師不足の背景にある、小児科の採算が取れない診療報酬制度……。
医療を巡る様々な矛盾が小児救急を直撃」

長崎大医学部が、小児科医約60人を対象に行った調査では、
「子どもが医師になるとして、小児科医を勧める」 と答えた医師はゼロ。

1943年、京都府に生まれ、薬理学教授の父に伴って長崎へ。
卒業後は、日本の高度成長を支えた炭坑の島、
通称「軍艦島」での診療などを経て、26歳の時、日本の心臓治療を
リードしていた東京女子医大付属日本心臓血圧研究所。

専門の循環器小児科は、まだ黎明期。
心臓を患う子どもたちの痛ましい死を防ぐため、
手探りの治療と研究が続いた。
「子どもの命をつなぎ留めたくて、三日三晩、呼吸用の補助器具を手で
押し続けたことも。看護師も必死で、両親も一睡もしませんでした。
人の愛情があり、人間が医療にかかわっている温かさがあった」

医学は、「当時とは別次元」の高度な科学に“進化”し、
医療現場は次第にマニュアル偏重の世界に。

「医師が小さな命と向きあい、微妙な感覚や技術を身につけていた時代、
新しい技術や研究が子どもの未来を守ることと同義だった時代は戻らない。
医師教育の方法も変わらなければならない。
しかし、医療のあり方だけでなく、社会も大きく変わった」

外来で順番を待つことに耐えきれず、どなり出す若い親が増えている。
大都市では、患者の3割が深夜11時以降に受診するが、大半は軽症。
自治体の首長や議員は、選挙になると
「小児科医を連れてきます」などと公約するが、
地域医療の体制づくりに腰を据えて取り組むことは少ない。

「六本木ヒルズで、男の子が自動回転ドアに挟まれて亡くなりました。
危うさが分かっているのに、危害が身に降りかからなければ
放置してしまう日本を、『子どもに優しい社会』と言えるか。
問題を、子どもたちの命を守るために解決しなければ」

「子どもは社会の宝」に、異を唱える人はいない。
「改革構想を具体的な動きにつなげないと、手遅れに。
全国で1人1人が自分の地域の未来像を描き、
一緒に行政に働きかけてくれることを願う。
『小児救急を地域で支える』という理解こそが必要

小児科学会による改革構想

救急医療の拠点として、24時間対応の「地域小児科センター」を
全国400か所程度設け、地域の小規模病院や診療所の医師の
協力も得て診療体制を整える。
 
日本小児科学会のホームページ http://www.jpeds.or.jp/

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kyousei/sasaeru/20040914sq31.htm

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