2008年6月4日水曜日

法隆寺金堂の天蓋に再建前の古材 聖徳太子を追慕か

(朝日 2008年05月30日)

世界最古の木造建築、法隆寺の国宝・金堂内にある
装飾の天蓋(国重要文化財)に、606年ごろ伐採された木材が
使われていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

法隆寺は、聖徳太子(574~622)が607年に創建、
670年に焼失し、7世紀後半から8世紀初めごろ再建。
本尊を安置する中枢部の金堂で、創建時期の古材が
半世紀以上経た後に使われていた。

法隆寺再建をめぐっては謎の部分が多く、
建立過程を知る上で貴重な資料となりそう。
同研究所の光谷拓実・客員研究員(年輪年代学)が調査。

天蓋は、カーテンを模した木製の荘厳具で、仏像の頭上にかざす。
金堂内の「中の間」「西の間」「東の間」に3基あり、
それぞれ幅約2.4メートル、奥行き約2.1メートル、高さ0.8メートル以上。
聖徳太子をモデルに造られたとされる釈迦三尊像(623年)がある
「中の間」と、阿弥陀如来像(1232年)がある「西の間」の天蓋を修理した際、
06年12月と翌年1月に年輪年代法で測定。

「東の間」の天蓋は、鎌倉時代作のため除外。
「中の間」天蓋の部材のうち、最も新しい年輪年は654年、
「西の間」天蓋は663年。
元は同じとみられる木材が両方に使われていることから、
天蓋2基の制作は663年から数年後と判断。

「中の間」天蓋の部材のうち、天井板の部分に使われていた木材1枚が
606年前後の伐採とわかった。

光谷客員研究員は、「聖徳太子を追慕する思いの表れとして、
古材を用いたとも考えられる」。

〈法隆寺再建・非再建論争〉

670年に法隆寺が焼けたと記す日本書紀をもとに、
創建法隆寺(若草伽藍)の焼失後に、現在の伽藍が
北西約200メートルに再建されたと考えるのが再建論。

これに対し、金堂の建築様式の古さなどから、現在の伽藍は
7世紀初頭の創建時のままとするのが非再建論。
1939年に若草伽藍の金堂と塔の跡が見つかり、再建論が主流となった。

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