2009年1月25日日曜日

現場再訪(7)いじめ 教委「変わった」

(読売 1月16日)

いじめ苦による自殺が起きた教育委員会は、どう変わったのか。

「きちんと受け止めて、対応していかなくてはならない」
北海道滝川市の教育委員会議で、若松重義委員長(68)が呼びかけた。
いじめを苦にした自殺で亡くなった小学6年生の女児(当時12歳)の母親が、
市と道を相手に提訴したという報告を受けた言葉。

女児は2005年9月9日、いじめを訴える遺書を残して自殺を図り、
06年1月に亡くなったが、市教委は同年10月の本紙報道まで
いじめの記述があったことを隠していた。
「当時は委員になったばかりで受け身だった。
深く追及できず、反省している」と篠島恵理子さん(58)。
当時から唯一残る委員で、地元の医院の事務長。
問題発覚後に、教育長と委員長が辞任するなど、他の委員4人は交代、
07年10月には「委員会を活性化したかった」(小田真人教育長)として、
中学生の生徒を持つ40歳代の保護者が加わった。

「委員会は変わった」と篠島さんは感じている。
年間で小中学校1校ずつだけだった委員の学校訪問は、全11校に拡大。
事務局の提案の追認になりがちな教育委員会議の後、
自由な意見交換ができる「協議会」も開く。
各校から毎月、いじめの報告も。
「いじめは、どこでも起こりうると考えないといけない。
今は、最善の努力をさせてもらっている」と若松委員長。

女児の祖母の兄、木幡幸雄さん(61)は
「形を整えただけで、本質的には変わっていない」と厳しい見方を崩さない。
訴訟では、市がいじめを防ぐ義務を怠った、真相解明が不十分などと訴えている。

06年10月11日には、福岡県筑前町立三輪中学校2年の
森啓祐君(当時13歳)が自殺した。
遺書の中でいじめを訴え、後に1年時の担任の言動が
生徒間のいじめに発展したことも判明。

「学校では、いじめ対策が漫然となされており、町教委にも努力が欠けていた」
町教委の調査委員会の最終報告書は、
学校の責任とともに町教委の責任について触れた。
中原敏隆教育長(69)は、「結果的に周りは誰も気付かなかった。
教育の充実した学校と評価していたが、対策が足らなかった」と戒める。

昨年12月、町は「子どもの権利条例」を制定した。
いじめなどの問題が起きた場合、弁護士らによる救済委員会を作り、
解決にあたる。指導主事1人が増員され、昨春には、いじめの相談窓口などを
設けた「こども未来センター」も開所。
町全体で、いじめをなくす姿勢を示している。

教育委員も、月1回程度は学校訪問するようになるなど、
「真剣に学校現場に向き合うようになってきた」と
内装業を営む柿原紀也委員長(47)。

父親の森順二さん(42)は、「真実を見ようとしないといじめはなくならない」とし、
具体的ないじめの内容が、今も分からないことに釈然としない思いを抱く。

教育委員会には、尊い命をなくしたことに
本気で向き合い続ける姿勢が求められている。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090116-OYT8T00288.htm

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