2009年1月30日金曜日

井戸水汚染が原因か 中国淮河「死の川」に 環境NGO霍氏が告発

(共同通信 2009年1月21日)

汚染で白く泡立ち、死んだ魚が大量に打ち上げられた川を見ながら、
霍岱珊(かく・たいさん)(55)は怒りにふるえた。

中国の黄河と長江の間を流れる主要河川、淮河。
少年時代、水は澄みきり、フナやコイがたくさんとれた。
きらめく川面を真っ赤な衣装の花嫁を乗せた小舟が静かに渡っていく。
そんな面影は既になく、「死の川」に変わり果ててしまった。

10年前、霍は中国河南省の地元紙写真記者の職を辞し、
同省内の淮河支流の汚染調査を始めた。
「みんなのため、わしらが生まれ育ったこの地の汚染を調べてほしい」。
胃がんで死んだ幼なじみの町長、倪安民が残した言葉がきっかけ。

中国は、30年間の改革開放政策の下、経済高成長を果たしたが、
公害は全国各地で深刻化し、淮河も工場排水や家庭の下水で汚れきっていた。
霍は流域をくまなく巡り、汚染状況を1万5000枚の写真に撮った。

川沿いの農村地帯で、がん患者が多発する「がん村」の存在。
がん村は、河南省沈丘県内で二十数カ所も見つかった。
胃、食道、大腸など消化器がんが多く、乳幼児の死亡や
先天的な障害も少なくない。
同県杜営村の人口は約1700人だが、187人ががんで死んでいた。
どの村も貧しく、十分な治療はできなかった。

がんの多発は、淮河からの灌漑で、飲用の井戸水が汚染されたためと推定。
井戸水には、がんを引き起こす硝酸性窒素や大脳に影響するマンガンなどの
有害物質が多く含まれていた。

霍は2003年、淮河の汚染対策と被害者救済を目指す非政府組織(NGO)
「淮河衛士」を設立、妻や息子2人と家族ぐるみでボランティア活動を始めた。
汚染企業の排水口を監視し、汚染実態を映した写真を展示する
キャンペーンを全国各地で開いて、がん村の存在を知らせた。

地元政府や汚染企業はうろたえた。
汚染のひどさは、公害対策が不十分な結果。
利潤を追求する企業は、対策に金をかけたくない。
地元政府にとって、企業は税収源であり、住民の雇用先。
両者は癒着し、公害取り締まりは手ぬるかった。

霍は度々、匿名の脅迫電話を受けた。
汚染企業を調査した帰り、後をつけてきた数人の男たちに殴られ、
カメラを壊されたことも。一時は精神的にかなり追い込まれたが、踏ん張った。

寄付金を募り、汚染の少ない深層水をくみ上げる井戸を掘り、浄水器を設置。
農民、李豊泉(57)は、「以前の井戸水は濁って臭かったが、
とてもおいしい水になった」

やがて政府も予算を組み、すべてのがん村に深層水井戸か浄水器が設置。
国の汚水排出規制も罰則が強化され、
主な汚染企業もようやく対策に本腰を入れ始めた。
霍は、「私たちNGOが先に立ち、政府を動かしたのだ」と胸を張った。

霍は07年末、国家環境保護総局(現環境保護省)などが主催し、
その年環境保護に貢献した人物を表彰する「年の人」に選ばれた。
地元政府を飛び越し、中央政府の支持を得たのだ。
「あれ以来、圧力や妨害は少なくなった」。

霍は08年10月、初めて外遊し、日中韓の環境NGOが新潟で開いた
シンポジウムに中国NGO20人で参加。
かつて工場排水の有機水銀で汚染され、新潟水俣病が発生した
阿賀野川を見学し、患者や支援者と交流した。
「私たちも、患者の人権を守るため同様に活動している。
日本の経験に学びたい」

水俣病患者を37年間も支援してきた旗野秀人(58)は、
先鋭化し仲間割れも起きた運動の苦い経験から
「明るく元気に楽しく、息の長い運動を続けてほしい。裁判が最善ではない。
新潟では患者への差別が生まれ、地域のきずながずたずたになった

霍の次の目標は、被害者のために補償を勝ち取ることだが、
一党支配の中国では司法の独立や執行力は不十分。

霍も企業と対決する裁判は避け、和解を目指す。
「旗野さんの言葉はとても温かい励ましになった」。
寄付金は足りず、生活は楽ではないが、粘り強く運動を続けていく。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2009/1/21/86822/

0 件のコメント: