(日経 2009-10-01)
9月は日米IT企業で、驚きの人事が相次いだ。
2005年、米グーグルが米マイクロソフトから引き抜いた
華人技術者、カイフー・リー副社長が突然退社。
富士通の野添州旦社長が、病気療養を理由に辞任。
最も衝撃的だったのは、インテルのパット・ゲルシンガー
上級副社長(48)のEMCへの移籍。
30年に渡ってインテル技術陣の先頭に立ってきた同氏は、
技術者主導で成長してきたインテルの社風の象徴。
一時期、次期社長の有力候補の1人。
移籍の理由を、「インテルの経営トップをやりたいと公言、
近い将来にそれが実現しないと分かった」
EMCが用意したポストは、次期トップ含み。
サーバーのCPU(中央演算処理装置)として主流のインテル製
MPU(超小型演算処理装置)の今後の進化の方向性を熟知する
同氏の加入で、EMCの技術開発がより効果的で競争力を増す。
ゲルシンガー氏の天才ぶりは、経歴をみれば歴然。
インテルに入社したのは、18歳だった1979年。
グーグル創業者の2人が会社を興したのが、
大学博士課程在籍中の20歳代半ば。
入社から間もなく、MPUメーカーとしてインテルが
世界的な覇権を確立していく基礎となった
「80286」(82年発売)の設計・開発チームに参加。
85年発売「80386」の設計・開発チームで、中核的な役割。
同モデルは、パソコン用MPUとして初めての32ビットチップで、
マルチタスクを実現。
コンパック・コンピューターがCPUに採用、
パソコンの32ビット化が進み、パソコン用MPUとして
事実上の標準の地位をインテルが確立。
後継モデルの「80486」(89年発売)では、
20歳代半ばで主任設計者(アーキテクト)に。
90年代、パソコン用と共通の設計思想を採用した
サーバー用MPUの開発を主導。
2000年代、チップの回路の微細化が極限まで進んで
漏電と発熱が抑えられなくなり、電力消費と発熱を抑えつつ
MPUの処理能力を高めるマルチコア(複数核)化という、
根本的な技術開発の路線転換を主導。
インテルで初めてのCTO(最高技術責任者)に就任、
一貫して同社の基本的な技術戦略をリード。
童顔の天才に、あだ名は「ウィズ」(魔法使い)。
イチロー選手が、渡米後すぐにシアトルのチームメイトに
つけられたあだ名と同じ。
ゲルシンガー氏は、学歴に関係なく若者に活躍の舞台が
与えられた1980年代までのシリコンバレーも象徴。
アップルのスティーブ・ジョブズ氏、オラクルのラリー・エリソン氏、
20世紀のシリコンバレーを代表するスター経営者はともに大学中退。
インテルは、ロバート・ノイス、ゴードン・ムーア、
アンディー・グローブという理系の博士が創業し、
成長させた高学歴企業だが、
能力で判断するシリコンバレー的気風も強かった。
大学入学前のゲルシンガー氏を口説いて採用したのはその表れ。
同氏は、入社後仕事と学業を両立させ、
85年スタンフォード大で電子工学修士号を得ている。
インテルの現最高経営責任者(CEO)は、
同社創業以来初めての営業系トップとなったポール・オッテリーニ氏。
最有力後継者候補も、営業系のショーン・マローニー氏。
インテルでは、技術者が経営を主導する時代は終わった。
ゲルシンガー氏が、同社でのキャリアに終止符を打つ決断は、
そんな変化が背景。
技術開発を伴う企業の経営にとって、その技術分野が成熟すると、
性能を上げる技術革新が競争力の源泉にならなくなるのが、
「イノベーションのジレンマ」で有名な
クレイトン・クリステンセン・ハーバード大教授の説。
ある程度技術水準が上がると、少々の性能アップでは
消費者にとって、有意差を生まなくなる。
MPUはその典型。
十分高速化し、ITの機能を消費者に提供する主なエンジンは、
端末からネット上のサーバーに。
ゲルシンガー氏の移籍先のEMCは、ネット上のサーバーで
力を発揮する技術分野のリーダー。
インテルは、技術よりマーケティング主導で、成長の突破口を。
今回の人事は、ITの最新トレンドの必然といえそう。
http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/ittrend/itt091001.html
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