2010年12月18日土曜日

タイム・カプセルトーク2010~宇宙から見つめる私たちの地球~(その1)

(毎日 12月14日)

◇EXPO’70のロマン 5000年後への贈り物

1970年、日本万国博覧会(大阪万博)に合わせ、
毎日新聞社とパナソニック(旧松下電器産業)が、
「タイム・カプセルEXPO’70」を企画・製作し、
大阪城公園に埋設してから40年。

その記念事業「タイム・カプセルトーク2010~宇宙から見つめる
私たちの地球~」が、松下IMPホールで開かれた。
トークでは、事業に携わった主役たちが尽きない夢とロマンを語り合った。

特別講演講師の川口淳一郎・宇宙航空研究開発機構(JAXA)教授は、
偉業となった小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトの
苦難の足跡をユーモアたっぷりに語り、会場を沸かせた。
カプセルの次回開封は2100年で、最終開封は6970年。

◇2098点を収納、大阪城公園に埋設

大阪万博当時の記録ビデオ
「5000年に挑むタイム・カプセルEXPO’70」が上映。
71年、大阪城公園に埋設されたカプセルは、
同じものを収納した1、2号機からなる。
内径1m、50万立方センチ容量の特殊ステンレス製。

1号機は5000年保管、2号機は2000年と以後100年ごとに開封。
「技術委員会」に日本を代表する23人の学者、
「選定委員会」には自然科学、社会、芸術分野の学者、
専門家27人が選ばれた。
36カ国632人の有識者アンケート、国内から12万件の提案を受け、
収納品は2098点に絞り込まれた。

ビデオは、いずみたくさんの力強い音楽で進み、
小林清志さんのナレーションでこう結ばれた。
「世界平和の永遠なることを願い、未来に旅立って行きました」
==============
◇太陽の塔、月の石、最初の人工衛星……

元村 1970年の大阪万博の開催当時、何をしていたか?

川口 中学3年生だった。万博には行ってないが、
印象に一番強く残ったのは、岡本太郎さんの太陽の塔と月の石。
69年、アポロの月着陸の実況中継を見た翌年で、
「これがアメリカだ」という時代。
70年が印象深いのは、日本の最初の人工衛星がやっと飛んだこと。

元村 当時から宇宙に関心を?

川口 関心はずっと持っていたが、78年に大学院に進むとき、
初めて宇宙をさわってみようと思った。
81年、最初のスペースシャトルが飛ぶと予告され、
ロケットが消えると言われていた。
日本の宇宙開発は、とんでもなく遅れていたが、
研究するなら最後のチャンスだと思った。

吉田 私も中学3年生。ボーイスカウトに入り、
(万博会場内の)お祭り広場で、手旗信号ショーに出演。
会場の跡地にできた国立民族学博物館(民博)で働いているのは、
不思議な縁。
私の研究のベースは、文化人類学。
アフリカで30年来フィールドワークをしてきて、
アフリカの古い資料を見ておきたいと、
90年にロンドンの大英博物館に客員研究員で行った。
圧倒的な収蔵物を見て、「人間はどうして物を集めるんだろう」という
素朴な疑問がわき、博物館学を研究するようになった。

元村 吉田さんは、国際タイムカプセル学会のメンバー。

吉田 大英博物館で、ブライアン・ダランズという、
当時、民族誌部門の副部長が、タイムカプセルの研究をしていると。
「けったいなやっちゃなー」と思ったが、タイムカプセルは未来の観客を
想定した博物館。
学会は、私が5人目の会員。
その学会を基盤に、タイム・カプセルEXPO’70の2号機を開封した
2000年に国際シンポジウムを民博で開いた。
タイムカプセルをテーマにした唯一の国際シンポ。

大村 大学を卒業して会社に入った年。
35年間、ずっと(部品や装置の)分析をやった。
当時、半導体が脚光を浴び、カラーテレビがIC化された頃。
エアコン(クーラー)が世の中に出始め、それから自動車。
「3C」と言われた時代。
分析も、いろんな面で役に立った。

八木 万博の取材班キャップで、1年半ほど前に担当に。
タイムカプセルも(デスクに)、「早く取材して書け」と言われたけど、
「(開封は)5000年後って、ふざけたことを言うな」と(笑い)。
ぶつぶつ言いながら通ううちに、のめりこんで愛着が。
カプセルはお釜みたいな形で、仲間内では「釜」と呼んでいた。
「きょうは、あんたどこへ行くんや」と聞かれ、
「釜の委員会や」(笑い)。
実行委員の最末端に名前を連ね、36歳で一番若い委員。

元村 各国の著名人へのアンケートと、公募で集まった12万点もの
候補の中から、どうやって2098点の収納品を選んだのか?

八木 選定委員会を作って、自然科学、社会、芸術の三つの委員会に
分かれて、そりゃ大変だった。
一番印象に残っているのは、「人間の精子を入れろ」と。
それを検討する委員会で、茅(誠司・当時の日本学術振興会会長)先生は
「俺は自信ない」と(笑い)。
ふと顔を上げたら、みんながぼくの顔を見てる。
「あれが一番若い」言うて。
でも、膨大な装置が必要だということになって、ぱあになった。

元村 埋設場所が決まるまでに、議論があったのか?

八木 最初は、宇宙空間に飛び出せとか。
当時は開発ブームで、変なところに埋めたら掘り返されてしまうと。
(歴史家の)奈良本辰也先生がおっしゃったのが、
「史跡が一番いい」と。
それで大阪城公園がええじゃないかとなった。
大阪市経済局が管理していて、交渉は難儀した。

元村 この事業にいくらかかったのか?
ずっと秘密だったらしいが、八木さんだったら教えてくれるかなと。

八木 松下電器さんははっきり言わない。
半分冗談で換算してみると、今の貨幣価値で50億円くらい。
今作るとしたら、とても蓮舫さんは承知してくれませんわな(笑い)。

元村 究極のメセナ(企業の芸術文化支援活動)。
EXPO’70の後、タイムカプセルのブームが起きたと聞くが。

吉田 小学校の卒業式で埋めたものまで含めると、
日本は世界最大のタイムカプセル大国(笑い)。

元村 外国では、タイムカプセルはメジャーではないのか?

吉田 タイムカプセルという言葉は、1938年から39年にかけて
開かれたニューヨーク万博で初めて登場。
総合電機会社のウェスティングハウス社が、タイムカプセルと名づけ、
開封時期は6938年を想定、地下に埋めたのが始まり。

これには先行モデルがあった。
1936年、実質的に世界で最初のタイムカプセルと言われるのが、
米国アトランタのオグルトープ大学に設けられた「文明の地下室」。
当時、大学の理事だったソンウェル・ジェイコブズの発案、
25mプールぐらいの大きさ。
マイクロフィルム化された資料やニュース映画、ドナルドダックの人形
などが納められ、8113年まで開封されないことに。
エジプト暦ができたとされるBC4241年から、
地下室を設けるまでの6177年と、同じ年数が経過した時点として算出。

ジェイコブズが発想したのは、関東大震災が契機。
直後、ウェスティングハウス社がカプセルを作った。
背景には、関東大震災と、第一次世界大戦を経験し、
世界全体の破滅への予感というものが具体的に感じられた。

70年万博のタイムカプセルのすごいところは、
保存技術と開封のシステム。
カプセルが二つあり、一つは100年ごとに開ける。
100年なら何とか、埋まっていることも記憶されているだろうと。
今もって、最も遠い未来まで実際に保存できる可能性を持った
唯一のタイムカプセル、タイムカプセル史に残る金字塔だ。
=============
◇背伸びしてつかんだ夢
--JAXAはやぶさプロジェクト・マネジャー、川口淳一郎さん特別講演

はやぶさについて11月16日、イトカワ起源の1500個の微粒子を
発見したと発表。
アルミニウム粒子と一緒に見つかったかんらん石や輝石が、
イトカワ起源の地球外物質と確認された。
太陽系や地球の起源を解く手がかりになる、画期的な成果。

はやぶさは03年に打ち上げられ、05年9月イトカワに着いた。
滞在の間に5回、表面に向け高度を下げ、最後の2回は着陸し、
試料採取を試みた。
07年6月、帰還予定だが、燃料漏れが起き、3年間延期した。

目指したのは、目的地から試料を持ち帰る
「サンプルリターン」技術の実証。
サンプルリターンには、(1)イオンエンジン、(2)ロボット機能、
(3)試料の採取方法、(4)カプセルの技術、(5)スイングバイ
(地球の重力で軌道の方向を変える技術)の5大技術要素。

はやぶさ本体の下には、試料を採取するための筒が付いて、
弾丸を撃ち、跳ね返ってきた破片を受け止める仕組み。
採取できれば、兵庫県の「スプリング8(大型放射光施設)」など、
大掛かりな装置で分析でき、保管しておけば、
50年後に最新技術で再分析できる。
そのために必要なのが5大要素。

小惑星サンプルリターン計画は、25年前から目指していた。
わが国初の人工衛星が上がった70年に開かれた大阪万博の目玉は、
前年にアポロが採取した月の石、すごいギャップ。
NASAは、われわれの数十倍の予算規模で、
何万人というスタッフがいる。
オリジナリティーを発揮するには、NASAもためらうような計画でないと。
はやぶさ計画も当初は、はったりだった。

イトカワ着陸のため、最終的に必要とした精度は、1cm毎秒。
アリの歩くような速さを、3億kmかなたで制御する必要。
表面は凸凹が激しく、着陸できる場所はわずか。
少しの誤差も許されない。
最初の3回は、誘導制御に失敗、タイムリミットまで1週間に迫ったとき、
思いもよらぬ方法を取った。

それまで、完全自動化した計算機処理で、高精度な計算を目指していた。
その処理に、あえて人間を入れたことが劇的な成果を生んだ。
人間のある種特別な能力が、爆発的な高速化につながった。
経験や所属を問わず、良い意見を直ちに評価にかけたことが功を奏した。
==============
◇はやぶさ

軽自動車の半分程度の大きさで、画像などを使った自律航行と
小惑星への接近・着陸、ほとんど重力のない環境での試料採取、
カプセルを大気圏に突入させての回収など、人類初の技術を多数実証。

◇イトカワ

地球と火星の間の軌道を回る、最大直径約540mの小惑星。
米国の研究所が1998年に発見、はやぶさ打ち上げ後、
日本のロケットの父、故糸川英夫博士にちなみ名付けられた。
重力は地球の10万分の1程度、12時間周期で自転。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2010/12/14/20101214ddm010040187000c.html

0 件のコメント: