(毎日 3月10日)
チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世(73)のインド亡命に至った
チベット動乱の発生から10日で50年。
14日で、チベット自治区ラサで起きた暴動から1年。
二つの「敏感な節目」を控え、亡命政府のあるインド北部ダラムサラは
平静を装うが、中国国内のチベット人居住区では緊張が高まる。
中国当局はチベット問題で譲歩しない構えで、
硬軟両面で抑え込みを図ろうとしている。
全国人民代表大会(全人代)に出席していたチベット自治区のトップ、
張慶黎・自治区共産党委書記は、北京から区都ラサへ戻った。
年に1回の国会開会中に任地へ戻るのは異例。
「反北京」の動きを、陣頭指揮で抑え込むため。
当局は、自治区と周辺のチベット族が多い居住区に
治安部隊を大量動員し、厳戒態勢。
公安省辺防管理局の傅宏裕・政治委員は、
「国家主権に危害を及ぼす犯罪活動に打撃を加える」
◆譲歩はせず
チベット亡命政府は、昨年5月に再開された中国政府との協議で、
自治構想の「覚書」案を提示。
分離独立やダライ・ラマ14世の政治活動の放棄、中国憲法の順守など
譲歩した内容だったが、「中国側に一蹴された」(ロディ・ギャリ亡命政府特使)
亡命政府や関連組織は、「中国当局はチベット人弾圧を強めている。
これが中国との間で緊張を生む背景だ」と中国側を非難、
中国指導部がチベット問題で妥協しない方針は変わらず、
亡命政府側が望む対話再開のめどは立たない。
予算面では、「チベット重視」を鮮明。
中央政府は、自治区に昨年の2倍の240億元(約3480億円)を投入。
自治区政府も、昨年比2倍の49億元(約710億円)を
教育や衛生など市民生活の向上につぎ込み、アメとムチを使いわける。
中国政府は、「チベット民主改革50年」と題する白書を発表。
過去半世紀を、「暗黒から光明へ 貧困から富裕へ 独裁から民主への
輝かしい道のりだった」と自賛。
中央の統治権が確立した今月28日を、「農奴解放記念日」に定め、
「ダライ(ラマ)を頂点とした封建制度から人民を解き放った日」と強調。
◆欧州けん制
指導部が神経をとがらせるのが、主要国の視線。
楊潔ち外相は、「ダライ側は、中国の4分の1の土地に
『大チベット区』創設を求めている。
ドイツやフランスなどは、自国領の4分の1の分割に同意するか。しないだろう」
欧州連合(EU)が、中国の宗教・人権問題に厳しい目を向けていることを踏まえ、
チベット問題と対中政策を結びつけないようけん制。
対話が暗礁に乗り上げ、北京五輪後はチベット問題に対する国際的関心も
薄れつつあり、中国は半世紀に及ぶ統治の実績を背景に、
チベット政策に自信を深めつつある。
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◇緊張する居住区/亡命政府は平静
山々に囲まれたのどかな風景が広がる中国青海省。
ダライ・ラマ14世が4歳まで育った同省平安へ続く道路は、
生家の数キロ手前で警察車両に封鎖。
「住民以外は通せない。立ち去れ」。
普段は自由に通行できるはずだが、警官にはぴりぴりした雰囲気が漂う。
記者にパスポート提示を求め、「上からの指示だ」と繰り返した。
生家には、14世のおいが暮らす。
チベット族男性に物陰で声をかけると、携帯電話の待ち受け画面にある
14世の写真を示した。
「生家の部屋に今も飾られている写真だ。
14世が生まれた村に帰る日を祈り、待っている」。男性は合掌。
昨年のラサ暴動以降、ラサをはじめチベット自治区への外国人立ち入りは
厳しく制限された。昨年、暴動が起きた青海省同仁県の僧侶は、
「愛国主義教育として、ダライ・ラマを批判するよう強要された」
亡命政府のあるダラムサラ。
「チベットは一つ」、「1959 抵抗の50年」。
寺院前の壁面に、亡命チベット人男性がペンキで大きく記していた。
国内外から約5000人の亡命チベット人らが集まり、祈りをささげるが、
昨年3月の大規模デモの際の張り詰めた空気はない。
亡命議会のワンチュー議員(35)は、「対話は失敗したように見えるが、
朝の来ない夜はない」と対話継続に期待感を示した。
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◇チベット動乱
中国共産党政権は1951年、ダライ・ラマが事実上統治していた
チベット全土を、軍の力を背景に掌握。
ダライ・ラマ14世の地位や政治制度など、政教一致の維持を約束したが、
社会主義改革に反発するチベット人との衝突が頻発。
59年3月10日、14世が「中国に拉致される」と疑ったラサ市民数万人と
軍との全面対決に発展。中国は制圧後、65年に自治区を置いた。
http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/archive/news/2009/03/20090310ddm003030147000c.html
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