(毎日 10月4日)
2016年の夏季五輪・パラリンピックの開催地が、
ブラジル・リオデジャネイロに決まった。
南米大陸で初めての開催で、
五輪に新たな歴史が刻まれることを歓迎したい。
52年ぶり2度目の五輪を目指した東京は、
2回目の投票で落選。
1988年の五輪招致で名古屋がソウルに大敗し、
08年五輪招致では大阪がわずか6票で早々と姿を消した。
夏季五輪招致の3連敗を免れようと、
切り札の首都・東京で挑んだが、またしても夢はかなわなかった。
敗因はさまざまあろう。
今回の東京招致は、石原慎太郎東京都知事の独り芝居で、
それが墓穴を掘ったという印象をぬぐえない。
「日本で再び夏季五輪を」の声が、スポーツ界から上がったのは、
金メダル16個を含むメダルラッシュに沸いた04年アテネ五輪後。
JOCは、さらなるスポーツ振興と国際競技力向上につなげるため、
夏季五輪の招致を国内主要都市に呼びかけた。
08年五輪の北京開催が決まっていたため、
JOCが目指したのは20年五輪。
名古屋と大阪の失敗を踏まえ、「1回の立候補で当選は難しい」と、
16年五輪にも立候補し、実績を積む作戦を立てた。
国内招致都市争いで福岡を破った東京は、
石原都知事の強力なリーダーシップのもと、
16年五輪の実現に向け一気に突き進む。
9月に77歳になり、すでに4選不出馬を表明している
石原都知事にとって、任期中に五輪招致を勝ち取るには
16年五輪しかなかったのだろう。
この結果、東京の五輪招致は、「北京五輪の8年後に、
なぜ同じアジアの東京なのか」というアキレスけんを、
スタートから抱えこむ。
「なぜ」に答えが出せないまま、
招致活動は上滑りした状態で投票日を迎えた。
五輪招致は失敗したが、東京の提案が
すべて無駄だったとは思えない。
コンパクトな会場配置や財政、治安問題などで高い評価。
「環境に配慮した五輪」という理念は今後、
ますます必要性が高まり、平和の祭典としての五輪に
新たな使命として書き加えられるべき。
東京招致に費やした150億円の巨費も、
詳細に使途を明らかにすることで、今後の五輪招致に当たり
貴重な資料として役立てることもできよう。
名古屋と大阪は、1度の惨敗で五輪への夢を
語り続けることをやめた。
訴えた理念は、その場限りの作文だったと自ら認めたようなもの。
今回は同じ轍を踏むべきではない。
2日の最終プレゼンテーションで、
「地球の将来のための環境五輪」を訴えた15歳の三科怜咲さんや、
その後の世代のためにも、
日本は五輪の夢を語り続けなくてはならない。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20091004k0000m070110000c.html
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