(読売 1月14日)
県教委の名物職員が、教育長として山間の町の教育を変え始めた。
宮崎県五ヶ瀬町立三ヶ所小学校で行われた3年生の音楽の授業は、
40人の児童に教師が5人がかりだった。
1人の伴奏で子供全員が輪唱をした後、個別に楽器を選ぶ時点からは、
教師がグループごとに付いて指導した。
昨年から始めたG授業(GはGOKASEのG)。
熊本県境に接する町の人口は約5000人だが、
小学校が4校、中学校が2校ある。
G授業は年20回ほど、他校の子供もスクールバスで集まって一緒に行う。
教師も集まれば、指導は当然手厚くなる。
小中学生は全町で400人足らず。普段は輪唱も難しい。
G授業では逆に、児童2人に教師1人が付いて算数を指導する場面や、
小学校の教師が中学校に出向く場面も。
どんな内容の時に、どういう規模が最適か探っている。
この取り組みを始めた日渡円町教育長(52)は県教委時代、
教員の評価制度や学校事務の共同実施を進め、文部科学省幹部も一目置いた。
「条文に照らして市町村にダメ出しをするのが、県教委の仕事だった。
でもダメが多過ぎれば、ルールがおかしいということになる」。
長年の経験や思いを今の仕事にぶつけている。
2年前の就任時、校長たちが示した学校の教育目標を、
「当たり前のお題目ならいらない」と突き返した。
「算数の力が弱い」、「コミュニケーション力が……」と低学力を訴える校長たちに
「教師の力量のせいでは」と問いかけた。
秋には、43年ぶりの全国学力テストの結果が出た。
町の成績は、全国平均よりも県平均よりも高かった。
「理由は少人数教育しかない。少人数は町の教育の強みだ」。
前任者の頭には学校の統廃合があったが、
発想を180度転換して町の教育ビジョンを作った。
統合すれば、教職員数が大幅に減る。現在は6校で計82人。
その力を生かしたいと考えた。
ビジョンの実行部隊となる3委員会14部会のすべてに教職員が入った。
教職員を核に、町を変えようとしている。
図書館の代わりに、学校の玄関、農協、バス停など、
至る所に方々から入手した図書を置き始めた。
それをネットワーク化し、借りたい人がいる所に本を運ぶ仕組みを作る。
校長らには議会の傍聴を義務づけ、学校に予算要求をさせる。
高齢者が役場に足を運ばなくても、学校で公的手続きができる形を作る。
住民が助けてほしい作業や学校が手伝ってほしい仕事の掲示板を学校に設け、
その仕事や作業の対価として地域通貨を使う。
地域通貨は、学校施設の利用時にも使ってもらう。
住民が学校に集まる仕組み作りだ。
わずか2年の間で教職員が主体的に動き始めた。
例えば、学校給食を、お年寄りのデイサービスでも使えるようにできないか
といった検討が、教職員の発案で始まっている。
教頭たちが、教育長の前で教育について夢を語る。
教職員の心に火をともすことが、過疎の町再興につながる道かもしれない。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20090114-OYT8T00295.htm
0 件のコメント:
コメントを投稿