(2010年5月24日 共同通信社)
開業医の祖父の下で育てられながら、
詩人だった親せきの影響で、文学への関心も高かった。
学生時代、大倉流の先生について小鼓を習い始めるなど、
能にも造詣が深く、多才だった。
千葉大助手時代、免疫反応にブレーキをかける抑制T細胞を発見。
免疫疾患の治療に道を開き、世界的な反響を呼んだ。
「一つ一つの現象から、全体として何が起きているかを見抜く、
というひらめきがあった」、弟子の一人で
理化学研究所の竹森利忠さん(65)。
免疫学を土台とする独特の生命観は、脳死と心臓移植を取りあげた
「無明の井」などの新作能などでも、いかんなく発揮。
2001年、旅先で脳梗塞に倒れ、人生は一変する。
半身不随となって、言葉を失った。
一時は自殺も考えたが、科学者の目で自らの病気をとらえ、
受容していく。
支えたのは、「ダディさんのためならエンヤコラ」と
医師の仕事を辞めた妻の式江さん(67)。
どこへ出掛けるにも車いすを押し、好きな酒も気管に入らないように
トロミをつけるなど、生活全般を一手に引き受けた。
「何もかも失った。それを突き詰めると、何かが見える」、
左手でパソコンを打っての執筆活動も衰えなかった。
闘病記から、原爆の悲惨さを描いた「原爆忌」、「長崎の聖母」などの
能の創作...。
06年、熱心に通っていたリハビリに、国が日数制限を導入すると、
「中止は死の宣告」として、撤廃を求める44万人分の署名を
厚生労働省に提出、抗議。
式江さんは、「病の前より物事を深く考え、
他人を理解できるようになった」
「体が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、
私の生命活動は日々創造的だ」と、情報発信をあきらめなかった。
http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/5/24/120698/
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