2008年11月3日月曜日

「かけはし交流」未来へ 種もみ増殖15周年で記念碑

(岩手日報 10月27日)

岩手・沖縄かけはし交流協会(本部・奥州市江刺区、高橋洋介会長)
来年1月、沖縄県石垣島に種もみ緊急増殖事業15周年を記念して石碑を建立。

本県が大冷害に見舞われた1993年度、
同島で水稲の種子を確保するために行われた増殖事業。
当時、県職員として派遣され、今年6月に65歳で死去した
菅原邦典さんが担ったプロジェクトの功績と、
事業を機に始まった「かけはし交流」のきずなを語り継ぐ。

「何とか成功させたいとの思いだった」。
当時、県農政部長だった高橋会長は、
種もみ緊急増殖事業の重さをあらためてかみしめる。

93年の冷害は、作況指数「30」の大凶作。
当時を知る大浜長照石垣市長(61)は、
「気温も風土も違う中、困難な計画を成し遂げたのは菅原さんの
指導力があったからこそ。石垣の農業技術向上への功績も大きい」

石碑建立のきっかけは、菅原さんが亡くなったのを機に、
高橋会長らが、事業の意義を風化させてはならないと、
岩手・沖縄かけはし交流協会会員らに呼び掛けて実現。

石碑は高さ70センチ、幅90センチ、厚さ8センチで重さは140キロ。
盛岡市玉山区産の花こう岩「姫神小桜」で制作。

表に、「岩手県水稲品種『かけはし』 種籾緊急増殖事業記念碑 
菅原邦典君を讃えて」と刻字。
裏に、事業の経緯と菅原さんの業績を紹介する文面を記した。

船便でコンテナに積み込み、石垣島へ輸送。
当時、かけはしが植えられた石垣市平田原に土台を設置し、
石垣島マラソンが行われる前日の来年1月24日に除幕式を行う。

記念碑の制作費や土台設置費、輸送費など計85万円は
会員の寄付金などで賄う。

除幕式への参加を予定する菅原さんの妻郁子さん(65)=一関市花泉町=は
「あらためて大変な仕事をしたんだな、と感じる。
きっと主人も喜んでくれると思う」と感謝。

本県と石垣島の交流は、北上マラソン、石垣島マラソン大会への相互参加や、
姉妹校となった八重山高と盛岡四高の生徒の交流など現在も続く。

大浜市長は、「これからも末永くお付き合いしたい。観光や芸能の交流もしたい」と
今後の結びつきの発展を期待し、
高橋会長は、「当時を知る県職員や石垣の農家の方も引退している。
菅原さんの遺志を引き継ぎ交流を続けたい」

◆種もみ緊急増殖事業とは?

本県の作況指数が「30」の大冷害に見舞われた1993年、
翌年の水稲種子確保策として進められた。
後に「かけはし」になる岩手34号、「ゆめさんさ」になる岩手36号を、
冬の沖縄県石垣島の水田50ヘクタールに作付け、
本県の田植えに間に合うよう翌年5月までに種もみを確保。

当時、県盛岡農業改良普及所岩手町駐在主任だった菅原邦典さんが
石垣島の農家に栽培を指導。
岩手から送られた2トンの種もみは、116トンに増えて帰ってきた。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20081027_16

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