(2010年2月17日 共同通信社)
1960年代初頭、フランスが同国領アルジェリアのサハラ砂漠で、
大気圏核実験を行った際、軍兵士らを実験直後の爆心地周辺まで
進ませ、人体への影響を調べていたことが分かった。
軍の機密文書を基に、16日付パリジャン紙が報じた。
フランス政府は昨年12月、同国の核実験で被ばくし、
後遺症に苦しめられた兵士らへの補償法を成立、
半世紀にわたり封印されてきた核実験の暗部の一端が
明らかになった。
260ページに及ぶ文書によると、
61年4月25日に行われた核実験は、
「核兵器が人体に及ぼす生理的、心理的影響調査」と目的を明記。
兵士ら約300人を核実験場周辺に配置、核爆発の20分後から
爆心地へ向けて徒歩や車で進ませた。
ある部隊は、爆心地から700メートルの距離まで進んだほか、
別のパトロール部隊は爆心地まで275メートルまで近づいた。
同核実験に参加したのは、ドイツ駐留のフランス軍部隊など、
兵士の一人はパリジャン紙に対し、
「(部隊移動の表向きの理由は)アルジェリアの油田の監視だった」
診察した医師から、「将来まともな市民生活を送りたかったら、
黙っていろ」と警告されたことを暴露。
別の被ばく者は、同紙に「われわれは核兵器のモルモットだった」、
理由も知らされず実験台にされ、
後遺症に苦しめられたことに怒りをあらわにした。
機密文書は、フランスが包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准した
直後の98年、「1人または複数の匿名の軍関係者」によって作成。
※フランスの核実験
フランスは、1960~66年アルジェリアのサハラ砂漠で、
17回の核実験を実施。
66~96年、仏領ポリネシアのムルロア環礁とファンガタウファ環礁で、
計190回以上の核実験を行った。
フランスの軍兵士や民間人約15万人、多数の現地住民が動員。
フランスは昨年12月、サハラ砂漠と仏領ポリネシアの核実験で
被ばくし、甲状腺がんなどを発症した軍関係者や
現地の民間人らへの補償を定めた法案を成立。
http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/2/17/116104/
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