(日経 2010-02-09)
自動車部品の研磨を手掛けてきた会社が、
全く畑違いの林業に進出、参入半年で黒字を達成。
衰退産業と言われる林業で、ずぶの素人が成功したのはなぜか。
研磨会社とは、大津技研(熊本県大津町、木村幹男社長)。
大分県臼杵市の山中にある現場では、
責任者の本田栄一さん含め、5人が働いていた。
伐採する木は深い山中にあるため、切り出す前に、
山の斜面に道を切り開く。
邪魔になる木を切ったうえ、切り株を掘り起こす。
担当は、新たに採用した林業の専門家と重機の専門家の2人。
伐採−−。
初めに、材木にするスギやヒノキを選んで切り倒す。
倒した木を、重機でつかんで持ち上げ、チェーンソーで枝を落とす。
さらに輪切りして長さをそろえる。
これを別の重機でつかんで斜面を降ろし、公道で待つトラックに
載せて運び出す。
一連の作業は、新たに採用した2人に加え、
もとから大津技研の社員で研磨作業に当たっていた3人の、
合わせて5人が共同で行う。
作業工程そのものは、従来の伐採会社と同様。
同社の伐採現場で目を引くのは、作業者5人の「手待ち時間」が
極めて少なく、重機3台も切れ目なく稼働していること。
製品である木材も、常に「流れて」いる。
同社の研磨ラインで、自動車部品がよどみなく流れ続ける姿と似ている。
「要は、中間在庫をためないこと」(本田さん)。
コスト管理に厳しい自動車業界で培った、生産性を徹底的に
引き上げる工夫の数々を、同社は伐採現場に応用。
現場の工程管理にとどまらない。
本田さんは、工場長や営業所長も経験した大津技研の古参社員。
同社が研磨工場の発想や工夫を、事業全体に生かしている。
事業の収益性を明確にするため、「この山(伐採現場)は
何カ月で作業を終了するか」という目標を設定。
目標を月、週、日ごとに落とし込む。
家業型の伐採業者では、ここまで厳密には計画を立てない。
伐採事業の目標管理は、研磨工場と比べ格段に難しい。
伐採の仕事は、天候に大きく左右。
雨の日に作業すれば危険だし、無理にやれば道をぬかるませ、
壊してしまい、次の日に晴れても作業できなくなってしまう。
翌週雨になりそうだと判断した時、土曜日も働く。
研磨出身の3人は、新たに採用した林業や重機の専門家から
ノウハウを習いつつ働いている。
同社は、そのノウハウの標準化にも全力を挙げている。
ある山を「攻める」時、道をどう作り、どういう順番で
木を切って行くか−−。
現場の写真を撮り、毎日の作業を詳細にパソコンに記録。
一番時間のかからない効率的な伐採の手法を開発するためだが、
安全性向上のためでもある。
木村哲也専務の指示が飛んでいた。
本田さんが、「根元が曲がった木を曲がった部分で切ると、
裂けてしまうことがある」と、木村専務は「じゃあ、ビデオを撮って
安全な処理方法を皆で共有しよう」。
大津技研が森林事業部を作って林業に参入したのは、2009年。
経営が立ちゆかなくなった個人企業を吸収する形でスタート。
木村幹男社長が決断、子息の木村哲也専務が陣頭指揮に立つ。
作業班は、臼杵市で働く班のほか、もう1班。
投入する重機は、合わせて11台。
一部はリースだが、それでも3000万円ほどの設備投資。
収入は、材木の販売代金。
「事業を始めて半年で、営業利益ベースで黒字に。
償却を含めて、黒字化するメドもたった」(木村専務)。
日本の林業は衰退している。
安価な外材に押される一方、林業従事者の高齢化が進み、
木を育てる人も切り出す人も足りない。
大津技研が伐採の仕事を始めようと決意し、専門家に相談した時、
「はっきりとは言わないにしろ、
『素人にできるほど甘い仕事ではない』という空気だった」(同)。
でも、木村専務は気にしなかった。
「日本の自動車生産台数が減ることが確実になった以上、
新たな仕事を探す必要がある。
研磨の仕事も初めは素人だったが、日本一の生産性を
誇れるまでになったではないか」
確かに、厳しい業界で鍛えられ生き抜いてきた会社が、
“甘い”業界に参入し、業界常識を塗り変えて
成功するケースは多い。
バブル経済崩壊後に登場した、いくつかの旅館再生会社。
一部は、もとは自動車系ディーラー。
旅館業は、地方名士の旦那商売とも言われ、コスト意識も薄かった。
計数管理を身につけた自動車ディーラーが参入し、
赤字に陥っていた旅館を相次いで立て直すことに成功。
木村専務は、現状に満足していない。
「基本的なノウハウは確立した。
自分が得られたノウハウぐらいなら、他の人も追いかけて来られるはず。
もっとノウハウを積み重ねないと・・・」
http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/mono/mon100208.html
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