(毎日 4月20日)
日本スポーツの次代を担う底辺層が揺れている。
優秀な選手の養成に力が注がれる一方、
少子化や指導者不足でスポーツの場は減っている。
教育価値の軽視や学力低下、燃え尽き、ドロップアウトといった
問題も叫ばれる。
若者のスポーツは、どんな針路を取るべきか?
第1部は、多様化するU18(18歳以下)世代の現場に迫った。
◇模索続ける英才教育
2年前の夏、2人の女子中学生は寮を抜け出し、
新大阪から新幹線に飛び乗った。
親元を離れ、大阪でバレーボールの英才教育を受けていた
彼女たちは、厳しい練習や孤独な環境で心身ともに疲れ、
実家に帰ろうと決意し、東京へ向かった。
これに気づいた女子マネジャーから携帯電話に連絡があり、
東京駅で待つよう指示。
追いかけてきたマネジャーに3時間説得、寮に戻ったが、
もやもやした気持ちはしばらく消えなかった。
「『もう一回頑張ってみよう』、『やっぱり無理かも』の繰り返し。
学校から寮に戻ればすぐに練習があるし、
中学から寮まで歩いて帰る5分間が重く感じた」
その後も2人はバレーを続け、今春、強豪高校に入学。
2人は、日本バレーボール協会が05年、
大阪・貝塚のナショナルトレーニングセンターに開校した
アカデミーの生徒。
寮や練習場は、1964年東京五輪で金メダルを獲得した
「東洋の魔女」の選手が所属した旧日紡貝塚の工場跡地。
日本協会は長年、地道な底辺拡大から有望選手の発掘を
目指してきたが、世界のレベルは上がり、日本は低迷。
お家芸復活には、低年齢からの英才教育が必要と判断、
女子の強化に着手した。
寮で生活しながら、近くの公立中学に通う日々。
現在は、1~3年の計15人が1日約5時間の練習を積む。
これまで計42人が入り、4人が退校。
開校から5年。
順調に成長した生徒もいる。
入校までバレー未経験だった清水真衣(17)=京都橘高3年=は
3月、全日本高校選抜でプレー。
交流試合で、軽快にブロックを決めた清水は、
「貝塚に行かなければ、高校選抜でプレーする選手にはなれなかった」
清水の上の学年では、企業チームに入ったり、
体育大学に進んだ選手がいる。
アカデミーは、中学生が対象、卒業生の大半が強豪の高校へ進む。
日本代表につながる一貫指導は難しい。
日本協会の成田明彦・強化事業本部長は、
「Vリーグのジュニアや中高一貫の強豪校もあり、
長身の有望選手もなかなかアカデミーに来ない」
試合経験が少なく、高校選抜の強化関係者から、
「『金の卵』の純粋培養で、ひ弱さも感じる」との声も。
今後、アカデミーでは国立スポーツ科学センター(JISS)の
協力を得て、手の骨の長さを分析、将来背が伸びる可能性の高い
「未完の大器」を探す。
足の大きさや親の身長、スポーツ歴など、競技力以外の指標で
選考してきたが、選手の発掘法がエスカレートしてきた感も。
日本サッカー協会(JFA)も06年、「エリート教育」を掲げ、
福島県のJヴィレッジに「JFAアカデミー福島」を開校。
寮生活を送り、近隣の公立中学、高校に通いながら、
6年間の一貫指導を受ける。
1期生の幸野志有人(16)は、才能を評価され、
3月にFC東京に入団。
アカデミー出身者初のプロとなった。
アカデミーの島田信幸・男子ダイレクターは、
「身に着けた技術や知識を活用して集団の先頭に立ち、
社会に貢献できる人が真のエリート」
バレーと同様、親元を離れた思春期の若者を育てるのは
簡単ではない。
「彼らはさまざまな不安を抱えている。
大切なのは、周りの大人がささいな信号でも見落とさないこと」
競技者の育成と人間としての成長。
そのはざまで、スポーツの英才教育は模索を続ける。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2010/04/20/20100420ddm035050004000c.html
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