2010年5月17日月曜日

インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/4

(毎日 4月30日)

「本当に私で大丈夫なんですか?」
最初は冗談だ、と小平奈緒は思った。
バンクーバー五輪を1年半後に控えた、
2008年夏の日本代表カルガリー合宿。
日本スケート連盟の鈴木恵一強化部長や、
羽田雅樹コーチ(ダイチ監督)から、
「小平、パシュートはどうだ」と声をかけられた時。

女子団体追い抜き(チームパシュート)は、2チームがコースの
対角線上から同時にスタート、3人が交互に先頭を代わりながら6周、
最後尾の選手が先にゴールした方が勝つ、チーム対抗戦。
連盟では、バンクーバー五輪のメダル有望種目と位置づけ、
カギを握る選手をさがしていた。

日本が勝つには、スピードしかない、と思っていた」と鈴木さん。
長距離選手の層が厚いカナダやドイツなどは、長距離専門選手を
3人集め、後半にラップを上げていけるが、層の薄い日本は難しい。
そこで、スピードで前半をリードし、逃げ切る戦略。

鈴木さんらが目をつけたのが、小平。
500mの日本記録保持者ながら、持久力もけっこうある。
カルガリー合宿で、小平が長距離選手と一緒の練習に
ついて行くのを見て、鈴木さんは「いける」と予感。
09年シーズン最初の全日本距離別選手権の1500mに
小平が勝ったことで、ダイチの田畑真紀、穂積雅子を加えた3人で
チームを組むことが、ほぼ確定。

穂積、田畑と先頭を交代し、3周目に小平が先頭に立った時、
加速して、リードを広げる。
大柄な小平は、後ろの2人の風よけになり、
疲労も軽減できるメリットもあった。
迎えたバンクーバー五輪本番、1回戦の韓国、準決勝のポーランドとの
レースでは、先行逃げ切りパターンがはまり勝利。
決勝のドイツ戦でも、ラスト半周までリード。
最後は100分の2秒差で逆転されたが、みごとに銀メダルを獲得。

五輪前に周囲が一番心配したのは、1回戦を勝ち上がると、
準決勝、決勝と1時間半を置いて2レースをしなければならないこと。
小平のスタミナが持つか。
「ワールドカップでは、500mで最大限に力を出した50分後に1500m、
なんてこと、何度もあった。それに比べたら、すごく楽でした」。
言葉通り、滑り切った。

メダル獲得のキーマンだった小平、自身が考えるポイントは違う。
「メダルは田畑さんのおかげ、といっていい」
小平と同い年の穂積は、スタミナが持ち味で、
歩幅が小さいピッチ走法。
小平は、スケートを大きく動かすタイプ。
3人が縦に並ぶ時、先頭の選手のリズムで滑るが、
小平は「穂積の後ろを滑って足を合わせると、ピッチが速すぎて疲れる」
そこを調整したのが、2人より12歳年長の田畑。
2人の間に入り、わずかずつテンポをずらし、つなぎ目になった。
小平は、「田畑さんのうまいところ」と、目立たないけれど、
大きな貢献をした先輩に脱帽。

決勝での惜敗は悔しかったが、
「おかげで、パシュートの面白さも難しさも知った」と満足。
高速リンクか低速リンクか、相手のメンバー構成次第で
レースプランを変えてもいい、と奥深さを感じた。
「個人種目より、心理戦の要素が強い。
そういう戦略を、考えるのが好きなんです」
団体追い抜きは、小平の引き出しをまた一つ増やした。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2010/04/30/20100430ddm035050103000c.html

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