2008年10月9日木曜日

クローズアップ2008:ノーベル化学賞に下村氏

(毎日 10月9日)

ノーベル化学賞に決まった下村脩・元米ウッズホール海洋生物学研究所
上席研究員(80)が発見した緑色蛍光たんぱく質(GFP)は、
生命科学の研究現場では欠かせない物質。

なぜ病気になるのか?
開発した薬剤はどのように効くのか?
生体内での分子の振るまいが、この光るたんぱく質によって
手に取るように分かるようになった。
美しく青く光るクラゲへの関心から生まれた発見は、
生命の謎解きに挑む最先端の研究者を支えている。

「GFPによる蛍光標識の手法は、医療や脳科学などさまざまな分野で活用」
専門家は、下村氏らのGFP発見と開発の意義をこう評価。
GFPは、生きた細胞内でたんぱく質がどう働くかを調べる先駆的な目印。

マウスの生体内で抗がん剤の効果を知るため、
GFPなどの蛍光たんぱく質を利用している
小林久隆・米国立衛生研究所主任研究員は、
「細胞を扱う研究で、なくてはならない武器。
いつか受賞すると思っていただけに、本当にうれしい」

小林さんらは、生きたマウスにできたがんの転移の様子や、
抗がん剤の効果を観察するため、GFPなど5種類の蛍光たんぱく質を使って実験。
従来の蛍光物質では、細胞分裂が進むと光が弱くなり、やがて見えなくなる。
GFPは、遺伝子として細胞内に組み込まれるため、
細胞分裂をしても次々とGFPが作られ、最初と変わらずに光り続ける。
「たった一つのがん細胞の動きも追うことができる。
がんの転移の様子を観察するのに、最適の目印」

血糖値を下げるホルモン「インスリン」を作るベータ細胞が、
膵臓の中で作られる過程や、
アルツハイマー病で神経細胞が破壊される様子が分かる。
マウスの骨髄にGFPを取り付け、別のマウスに移植した骨髄の状態を追跡できる。

GFPを実験に使った研究成果を掲載した論文は、年間で1000本超。
近江谷克裕・北海道大教授(光生物学)は、
「生命科学などの進展に、いまやGFPは不可欠。
下村先生の発見がなければ、こうした分野がこれほど進展することはなかった」

◇改良続き、広く活用

下村氏が発見したGFPは、その後多くの生命科学の研究に幅広く利用。
マウスの嗅覚の神経回路の機能などを研究している
森憲作・東京大教授(神経科学)は、
「GFPを使うと、神経細胞の形がきれいに見える。
脳のシナプスがどのように枝を張っているか、
脳の中の配線が目で見えるようになった」

GFPが普及する前は、脳を薄くスライスし、色素で染めて
目的の物質の場所を特定。
つまり、死んだ細胞でしか観察できなかった。
「GFPの登場で、生きた細胞でも目的のたんぱく質の動きを追跡できる。
医学や生物学にとって、なくてはならない技術だ」

下村氏がGFPの単離に成功した当時、この有用性は研究者の間でも
十分理解されていなかった。
マーティン・チャルフィー氏は、線虫などの細胞をGFPで発光させ、
生体細胞内でのたんぱく質の標識としての使い道を確立。
ロジャー・チェン氏は緑以外の色で発光させ、
一度に多くの物質に標識をつけることに成功、実用化への道が開かれた。

飯野正光・東京大教授(薬理学)は、「チェン氏は、細胞内のカルシウム濃度を
簡単に測る方法を開発。
一酸化窒素を測定するなど、さまざまな応用法が生まれている」

GFPは、改良が続いている。
理化学研究所の宮脇敦史チームリーダーの研究チームは、
発光効率を従来の最大100倍に高めたり、
一度に6種類の物質に標識をつけることのできる蛍光たんぱく質を開発。
産業技術総合研究所は、自ら発光する蛍光たんぱく質の開発に成功。

ノーベル化学賞の受賞が決まった下村脩氏が発見したGFPは、
細胞内の物質の場所や動きを見る手段として生命科学研究で活用。
新発見には、それまで見えなかったものを見たり、できなかったことを実現する
「道具」が不可欠だが、そうした技術にノーベル賞が贈られるケースが目立つ。

昨年の医学生理学賞は、特定の遺伝子だけを別の遺伝子に置き換えたり、
働きを止めたりする「ジーンターゲティング」という手法を開発した
米英の3氏が受賞。
マウスなどの遺伝子を改変し、体にどのような変化が表れるかを観察すれば、
その遺伝子の役割が分かる。
研究の世界では現在、日常的に用いられる手法。

03年の医学生理学賞は、がんの診断などに広く普及している
MRI(磁気共鳴画像化装置)の開発。
体を傷つけずに、人体の断面画像を描き出すことが可能。

02年に化学賞を受賞した、田中耕一・島津製作所フェローの業績も同様。
壊れやすいたんぱく質の質量を壊さないで、正確に測る質量分析の新手法。
ヒトゲノム解読が終わり、研究の焦点がたんぱく質の機能に移る中で、
この手法が歓迎された。

米シアトルに出張中の田中さんは、下村氏の受賞について
「見えない現象を見えるようにすることで初めて、新しい理論が生まれたり
病気の解明が進む。こうした研究が受賞することは喜ばしい」

◇日本人、貢献度大きく

ノーベル賞で、日本は02年に小柴昌俊氏(物理学賞)、田中氏が
ダブル受賞して以降、5年間、受賞者が出なかった。
最近の受賞者の業績を見ると、
日本人研究者が大きな貢献をした分野が少なくない。
日本の科学界が低迷していたわけではなく、受賞は時間の問題だった。

「ナンブは正しかったが、(登場するのが)早すぎた」。
ノーベル財団は04年の物理学賞の解説資料で、
南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(米国籍)の貢献について異例の言及。
この年は、素粒子の一つであるクォーク同士を結びつける力を説明する
理論を確立した米国の3氏が受賞したが、
南部氏の理論はこの研究に大きく貢献した。

ノーベル賞の受賞者は、一つの分野で3人まで。
同じテーマに2度贈られることはない。
このため、南部氏の受賞可能性は消えたかに見えた。
だが今年、素粒子物理学分野で別のテーマが選ばれ、
南部氏の貢献が再び認められて受賞が決まった。

昨年の物理学賞は、わずかな磁場によって電気抵抗が大きく変化する
「巨大磁気抵抗」の発見に貢献した仏独の2氏に贈られた。
パソコンなどの記憶媒体であるハードディスクなどに使われている原理。
その実用化には、十倉好紀・東京大教授、宮崎照宣・東北大教授、
湯浅新治・産業技術総合研究所研究グループ長らの功績が不可欠。

体内で不要になったたんぱく質が分解される際、
目印となる物質「ユビキチン」を発見したイスラエルと米国の3氏には
04年、化学賞が贈られた。
東京都臨床医学総合研究所の田中啓二所長代理は、
ユビキチンを目印に、酵素のプロテアソームが不要たんぱく質を
分解することを明らかにし、具体的な仕組みを解明。

http://mainichi.jp/select/science/archive/news/2008/10/09/20081009ddm003040106000c.html

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