2009年2月22日日曜日

逆風の中で:第2部・企業とスポーツ/7 村林裕・FC東京社長

(毎日 2月13日)

Jリーグは、93年の発足当時からサッカー以外のスポーツを含めた
総合クラブを理念に入れてきた。
FC東京も、03年からバレーボールが加わった。

サッカーで黒字が出ていれば問題はないが、
本業がきゅうきゅうとしている時に、赤字しか見込めない他競技を
受け入れることは経営としてありえない。
廃部する西武のアイスホッケーについて、
FC東京の本拠地(調布)が東伏見と近いということもあり、
一緒にやったらという声もあったが、正式に検討したことはない。

FC東京の営業は、徹底して現場主義。
一人一人を回って、理解と協力をしてもらう方法。
この不況でスポンサー集めは、確実に厳しくなっており、
二言目には「このご時世だから」。
東京だからといって、大きな網でドカンとやろうとしても、相手にしてくれない。
だったら一人一人を回るしかない。
効率はよくないが、ほかに方法はない。
観客にしても、町内会を回るなどの地道な努力を重ねている。
ファンからも(大々的に)PRをやった方がいいと言われるが、お金がかかる。

Jリーグは今後、1部、2部を合わせて40チームまで増やす構想で、
そうなると大半の都道府県にチームができる。
これまでの企業スポーツ一辺倒から、日本でも地域のスポーツクラブとして
認識され、普及したことの証明になる。
しかし、ドイツなど欧州と比べると、残念ながら歴史の違いがある。
地域のスポーツクラブが大きく成長してブンデスリーガになったところと、
いきなり「(Jリーグを)作りましょう」といった日本とでは違う。

Jリーグができたからこそ、地域密着という言葉が出てきた。
ここまでのところ間違っていないと思うし、
日本のスポーツ界、社会を変えた自負もある。
今あるクラブが完全に企業から離れ、地域を受け皿としてやれているかと
問われれば、できていないことは明白。
クラブの収入は、広告と入場料とリーグからの配分金などから成り立っているが、
30億円の入場料を稼ぐ浦和を除けば、
健全なバランスが実現できているクラブはない。

支えてくれる人たちは、長い付き合いの中で、
FC東京に対する思い入れを持ってもらっている。
「今は厳しいけど、一緒にやろうね」と言ってくれる。
我々は勝利だけでなく、何か別の形で誇れるものを持ちたい。
チーム設立から10年が過ぎ、次のビジネスモデルを考えなければならない時。
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◇むらばやし・ゆたか
慶大卒。76年、東京ガス入社。97年、Jクラブ創設準備委員会の発足に伴い、
責任者。98年のFC東京創設とともに出向。
常務、専務を経て08年2月から現職。
慶大大学院政策・メディア研究科教授も務める。55歳。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/archive/news/2009/02/13/20090213ddm035050011000c.html

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