(日経 2009-11-17)
2010年、サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会。
80年のW杯の歴史で、初めてアフリカ大陸で
金色のトロフィーが競われる。
この世界的なイベントを心待ちにするのが、アディダスとプーマ。
プロスポーツの頂点であるサッカーは、グローバル化の象徴。
ドイツの片田舎で生まれ育った「兄弟」会社は、
W杯にもまれ、たくましさを増していく。
「アディダスとプーマがサッカーで対決」。
今年、ドイツのメディアは両社の社員による試合の実施を報じた。
プーマが支援する世界規模の平和イベント「ピース・ワン・デー」の一環。
約60年の歴史がある両社は、交流がなく、これが“和解”と映った。
ドイツ南部ニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハ。
ルドルフとアドルフのダスラー兄弟は、1920年代に
スポーツシューズのメーカーを起業。
靴職人の父の伝統を受け継ぎ、当初の工房は母の洗濯部屋。
顔が利く兄ルドルフと職人肌の弟アドルフは、
五輪などを足がかりに社業を拡大。
第2次世界大戦後、ルドルフはプーマ、アドルフはアディダス設立。
小さな町で、2人の創業経営者が対面することはなく、
妻子を含めて家族同士の交流もなくなった。
ナチスの党大会が開かれたニュルンベルクとその周辺は、
終戦後、連合国によるニュルンベルク裁判が行われ、
責任追及も厳しかった土地柄。
創業家メンバーらを丹念に取材した女性ジャーナリストは、
そんな時代を映した2つの家族の仲たがいが、
兄弟がたもとを分かつ原因に。
2人が故人となり、家業として五輪や欧州サッカーの
有力チーム・選手を争奪する時代は、80年代の経営不振で終止符。
スポーツビジネスのすそ野は広がり、サッカー用品で世界シェアの
4割近くを抑えるというアディダスに、ブランドの「ピューマ」が
襲いかかるようにプーマが挑んでいる構図。
前回のW杯ドイツ大会は、まさに前哨戦。
アディダスはドイツ、日本など6チームにユニホームを供給。
プーマは12チームに供給、中でもアフリカから出場した
全5チームに供給する熱の入れよう。
結果は、プーマのイタリアが優勝。アディダスはフランスが準優勝、
ドイツが3位で、1本取られた形。
国際サッカー連盟(FIFA)とのパイプを生かすアディダスは、
W杯のパートナーとして試合球なども供給。
その地位も、未来永劫続くとは限らない。
スポーツ用品世界首位の米ナイキも、本腰。
特にアディダスは、ドイツ大会後、
この強敵に煮え湯を飲まされ続けている。
ナイキは、94年の米国大会時からサッカーに本格参戦。
ブラジル、オランダなど強豪を味方に。
ドイツ大会後、イングランド代表が身につけるアンブロを傘下に。
長年、アディダスと組んできたフランスのサッカー協会を取り込み、
ドイツ代表のスポンサーの地位も脅かした。
54年スイス大会では、代表チームのシューズをアドルフが
自ら調整、「ベルンの奇跡」といわれた初優勝に貢献。
2回の優勝も、アディダスの「3本線」のユニホームでドイツは戦った。
選手たちの足元には、ナイキのシューズも。
協会も、伝統だけでは高額のオファーを示すナイキからは
ドイツ代表を守れない。
アディダスは、契約金を引き上げ、協会との関係をつなぎとめた経緯。
もはや後発とは言わせないナイキの攻勢。
南アや次回大会の開催地となるブラジルといった、
より広い市場を巡る競争。
これからの厳しい戦いに勝ち残るため、アディダスとプーマも
これまでと違う次元の経営を求められるのは必至。
米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)からアディダスに転じた
ヘルベルト・ハイナー社長は、ウインタースポーツの低迷を
見越して、スキー用品のサロモンを売却。
06年、米リーボックを傘下に収め、ナイキのおひざ元で
メジャーリーグやNBAのスポンサーに名乗りを上げた。
プーマは、フランスのPPR傘下に飛び込む。
30歳で経営の立て直しを任されたヨッヘン・ツァイツ社長は、
ファッション性の高さを再生の基軸に置く。
プーマの店舗・売り場は、ドイツの町でもおしゃれなスポットに
生まれ変わった。
グッチなど、高級ブランドを擁するPPRの目に留まるのも当然。
こうした試みの成果はすぐには見えてこない。
サッカー欧州選手権と北京五輪に沸いた08年は、
秋から金融危機と世界的な消費低迷に襲われた。
今年7~9月期のアディダスとプーマの最終利益は、2ケタ減。
アディダスは構造改革を決め、人員削減やコストの
抜本的な見直しに乗り出している。
ドイツの直営店で売られているドイツ代表のユニホームも、
「メード・イン・ジャーマニー」ではない。
中国やベトナムなどに広がった生産拠点で作られ、
もう一段のコスト低減の余地がある。
欧州を一歩出れば、北米やアジアでは、より顧客に近づく
販売網の構築も求められる。
アディダスは、日本代表の新ユニホームを発表。
開催国の南ア、アルゼンチンなど新興市場の「広告塔」も
出場が決まっている。
プーマが、中期的視野で育ててきたアフリカ戦略も真価が問われる。
同族で築いたビジネスモデルを深化させ、さらに成長できるか?
その試金石となる南ア大会のカウントダウンまで、あとわずか。
http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/mono/mon091116.html
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