(読売 4月23日)
2月のバンクーバー五輪スピードスケート男子500m、
銀の長島圭一郎と銅の加藤条治が表彰台に。
その2人を支え続けたのは、長野県下諏訪町にある
「日本電産サンキョー」。
「欲しいものがあったら、何でも言え」
廃部の危機に立たされた7年前、会長に就任した永守重信は
スケート部の存続を決め、世界で勝つための
環境整備に乗り出した。
専属トレーナーを雇い、コーチも増員。
トリノ五輪の時、移動用にビジネスクラスの航空券を用意。
五輪メダルの報奨金制度も設けた。
バンクーバーの銀は1000万円、銅は600万円。
半額は会社が負担、残りは永守のポケットマネーで賄った。
そこまでして支援するのはなぜか?
永守は言い切る。
「このままでは、日本の冬季競技はダメになる。
誰かがこだわらんといかん」
こんな恵まれた環境は、今の日本スポーツ界では例外。
長引く不況は、スポーツ界を支える企業の力を奪っている。
昨年12月、社会人野球の日産自動車が50年の歴史に幕を下ろした。
日本一を決める都市対抗を2度も制し、
多くのプロ選手を輩出した名門も、休部に。
野球部員26人は、全員が正社員。
14人がユニホームを脱ぎ、スーツ姿の生活を選んだ。
選手の強化を企業が担う――
日本の特長である、「実業団」の仕組みは崩れつつある。
「景気が良くなり、野球部が復活する日が来ると信じている」
最後の監督となった久保恭久は願う。
企業チームの休・廃部は、野球だけではない。
スポーツマーケティング企業のアイシーティースポーツによると、
1992年~2009年の間、約320の企業チームが消滅。
野村総合研究所上級コンサルタントの三崎冨査雄は、
「企業は、コストのかかる団体競技から撤退する傾向にある」
企業の支援形態も変わった。
選手の雇用を、正社員から契約社員の扱いに変更したり、
チームを持たずに大会の運営に資金を提供するだけになったり。
文部科学省は昨年、実業団のような形でスポーツを支援する
企業の税制優遇を検討。
「文化や芸術もあるのに、なぜスポーツだけか」という
論議がネックとなり、実現は難しい。
日本スポーツ界は土台から、大きく揺れ始めている。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/rikkoku/ri20100423_01.htm
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