(2010年7月20日 共同通信社)
かつてタカラジェンヌとして活躍した宝塚市で、歯科医院を営む。
窓から見えるのは、緑の木々の中に赤い屋根が映える宝塚大劇場。
「24時間、舞台に恋していた。ここならほっとできる」と、
この地を選んだ。
体が弱く、いつも母の服の袖に隠れていた少女時代。
運動代わりに始めた日本舞踊だったが、
「舞台に立てばほめてもらえる」と夢中に。
高校卒業後、あこがれだった宝塚音楽学校に入学。
宝塚歌劇団にはトップの成績で入団。
「花園とよみ」の名で娘役を演じ、4年目で新人賞に輝くと、
「精いっぱいやり切った」とすっぱりと退団。
30歳を過ぎ、もうひとつの夢だった大学進学を目指す。
「医学の分野で、高齢者の役に立てる学問を」と考えたとき、
宝塚時代に猛特訓した発声練習を思い出した。
舌の滑らかな動きや歯並びも、大事な要素。
身近に感じた歯学部に入学し、45歳で国家試験に合格。
6年前、もう一つの転機が訪れた。
認知症を患った中学時代の恩師との再会。
生きる気力を失ったような姿にショックを受け、
「記憶を失う孤独と不安に苦しむ人の気持ちをわかりたい」と、
認知症を学ぶ決意。
60歳で、神戸大大学院精神医学分野に入学。
朝は診察、夜は授業の4年間を経て、
今春、医学博士号を取得。
努力を惜しまない姿勢は、宝塚で培った。
「人間の可能性はすばらしい。努力すれば、絶対にかなう」
先生の言葉が今も忘れられない。
大阪市出身の65歳。
http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/7/20/123040/
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