(共同通信社 2008年11月25日)
古代から人々は、数々の病気やけがに苦しめられた。
本格的な西洋医学が導入されるようになったのは、幕末以降とされるが、
それ以前もひたすら痛みに耐えるだけでなく、
少しでも症状を改善させようと治療を試みた。
1964年、岡山県倉敷市の縄文時代後期の涼松貝塚(約4000年前)で、
太ももを骨折した後、添え木を当てるなどして患部を固定し、
治療したと考えられる人骨が見つかった。
"患者"は、身長約160センチの成人男性。
右大腿骨の上部付近に斜めに亀裂が入り、完全に折れていた。
発掘した大阪市立大の島田武男元講師(人類学)は、
「大腿骨の中でもかなり丈夫な部分。
狩りなどの際によほどのアクシデントに見舞われたのだろう」
折れた骨の上側は、太ももを持ち上げるための筋肉とつながっており、
放置すると、下側の骨より前方に引っ張られ、うまく接合しない。
出土した骨を調べてみると、上側と下側の骨折面がくっついたあとがあった。
島田さんは、「添え木や包帯のような物で患部を固定したためだろう。
狩猟などで山野を駆け巡った縄文人は、骨折も多かったはず。
経験上、彼らなりの治療法があり、『縄文の整骨医』がいたのかもしれない」
上下の骨がやや重なったため、大腿骨は約4センチ短くなり、
さらに下部の骨がよじれて外側に開いていた。
現代の医療でも、これほどの重傷だと、完治するのに半年はかかるとされる。
出土した時は、接合していた部分が埋葬後の土圧で外れており、
当時は完治が難しかったようだ。
骨の様子から、男性は治癒から数年後に死亡したらしい。
島田さんは、「治療後も脚は不自由で、思うように走ったりできなかったはず。
それでも数年間生きられたのは、当時も仲間を助け合う社会だったからだろう」
http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=83507
0 件のコメント:
コメントを投稿