2008年12月6日土曜日

縄文人も骨折に添え木 太もも固定し治癒 文化財企画「先人たちのカルテ」「癒やしの足跡」

(共同通信社 2008年11月25日)

古代から人々は、数々の病気やけがに苦しめられた。
本格的な西洋医学が導入されるようになったのは、幕末以降とされるが、
それ以前もひたすら痛みに耐えるだけでなく、
少しでも症状を改善させようと治療を試みた。

1964年、岡山県倉敷市の縄文時代後期の涼松貝塚(約4000年前)で、
太ももを骨折した後、添え木を当てるなどして患部を固定し、
治療したと考えられる人骨が見つかった。

"患者"は、身長約160センチの成人男性。
右大腿骨の上部付近に斜めに亀裂が入り、完全に折れていた。
発掘した大阪市立大の島田武男元講師(人類学)は、
「大腿骨の中でもかなり丈夫な部分。
狩りなどの際によほどのアクシデントに見舞われたのだろう」

折れた骨の上側は、太ももを持ち上げるための筋肉とつながっており、
放置すると、下側の骨より前方に引っ張られ、うまく接合しない。
出土した骨を調べてみると、上側と下側の骨折面がくっついたあとがあった。

島田さんは、「添え木や包帯のような物で患部を固定したためだろう。
狩猟などで山野を駆け巡った縄文人は、骨折も多かったはず。
経験上、彼らなりの治療法があり、『縄文の整骨医』がいたのかもしれない

上下の骨がやや重なったため、大腿骨は約4センチ短くなり、
さらに下部の骨がよじれて外側に開いていた。
現代の医療でも、これほどの重傷だと、完治するのに半年はかかるとされる。
出土した時は、接合していた部分が埋葬後の土圧で外れており、
当時は完治が難しかったようだ。

骨の様子から、男性は治癒から数年後に死亡したらしい。
島田さんは、「治療後も脚は不自由で、思うように走ったりできなかったはず。
それでも数年間生きられたのは、当時も仲間を助け合う社会だったからだろう」

http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=83507

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