2008年12月5日金曜日

正倉院にアジアの輸入薬 庶民にも使用か 文化財企画「先人たちのカルテ」「癒やしの足跡」

(共同通信社 2008年11月26日)

756年、仏教による鎮護国家を目指し大仏を造った聖武天皇が崩御、
光明皇太后は異国情緒あふれる遺品を正倉院に納めた。
その中に、アジア各地で採取された多くの薬も含まれている。

「種々薬帳」と呼ばれる薬の献納品のリストには60種が掲載され、
1994年からの調査で、現在も38種が残っていることが分かった。

調査した大阪大医学史料室の米田該典さんは、
「すべて唐からの輸入薬で、なくなった分は使い果たしたり、紛失したのだろう」

特徴的なのは、現在でもよく用いられる大黄、甘草、臈密、桂心、人参、芫花が
大量に納められていたこと。
米田さんは、「よく使ったため、多めに確保していたのだろう」と推測。

きらびやかな琵琶や鏡などと同様に、薬も国際色豊かだ。
鎮痛、鎮静作用のあるユリ科の鬼臼は、中国の長江以南、
潰瘍の消炎剤の甘草は、内モンゴル自治区東部から吉林省にかけての地域が
原産地と判明。東南アジア、インド産の薬草も。

奈良県明日香村の飛鳥京苑池跡では、中風治療の漢方薬の処方せん
「西州続命湯」と書かれた7世紀後半の木簡が出土。
唐の医学書の引用とみられ、飛鳥時代から大陸の最新医学が導入。

日本薬史学会評議員の鳥越泰義さんは、
「処方せんのような薬を作るには、正倉院の分だけでは種類が足りない。
日本各地から薬草を納めさせ、調合したのだろう」

種々薬帳には、皇太后の願文が記されている。
「もし病気に苦しむ者があれば、国の僧侶の許可を得て使ってもよい」

続日本紀には、皇太后が施薬院、悲田院の救済施設を設け、
飢えや病気に苦しむ庶民を治療、養ったとある。
米田さんは、「正倉院の薬は、一部の皇族や役人だけでなく、
病気の庶民にも用いられたはず。
日本の福祉医療の原点を見る思いだ

http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=83604

0 件のコメント: