2009年1月4日日曜日

野球:関西独立リーグ 夢の世界を切り開いてゆく挑戦者たち(その1)

(毎日 1月1日)

今春開幕のプロ野球「関西独立リーグ」に、
神戸市からは神戸9(ナイン)クルーズ、
明石市からは明石レッドソルジャーズが登場する。
地域密着、地域貢献を掲げ、スポーツを通じて市民が結び付く
「地域力」を呼び覚まし、日本プロ野球史上初のヒロインとして
「ナックルボール」をひっさげた吉田えり投手(16)=神戸9クルーズ=
マウンドに立つ。
新たな夢の世界を切り開いてゆく挑戦者たちを紹介する。

「初めて家族と離れるので、不安や寂しさはあります。
でも、プロになれたのは家族の支えがあったからです」

父、母、兄と一緒に暮らす実家で夢を育ててきた。
横浜市内の住宅街にある自宅地下には、12畳ほどの“トレーニングルーム”。
右下手投げからのナックルボールは中学3年の夏、
父勇さん(45)を相手にここで投げ始めた。
部活動引退後、男子の中でさらに野球を続ける未来を描いた。

勇さんが趣味にしていた楽器に替わって、投球の足場用の畳3枚と
ボールを受ける緑色のネットが置かれ、ダンベルやバーベルが並んだ。
川崎市内の高校(神奈川県立川崎北高)から帰ると、投球フォームを確かめ、
手首を柔らかくするうちわを使った独自トレーニングに励んだ。

野球を始めたのは、少年野球をしていた兄の影響。
兄を応援するうちに、「野球がしたくなった」。
小学2年から兄と同じチームに入り、小学3年で投手、捕手、二塁手をこなした。
中学では、ただ一人の女子部員として一塁手のレギュラーに。
胸の内に秘め続けたのは、野球への姿勢。
「グラウンドの整備や荷物整理もすすんでした。
そういうところでも、チームから信頼されたかった」

高校入学直後、野球への情熱を確信する。
打撃練習中、大切な右手首を傷めたことがきっかけ。
数カ月間、10カ所以上の病院を回った。
「野球ができないことにイライラして、親に『もう、野球なんかやらない』って、
当たったことも」。思い詰めていた。
「この病院で最後。だめなら野球をあきらめよう」。
注射を受けると、ようやく痛みが引いていった。
「野球ができないあの苦しみがあったから、
どんなつらい練習も乗り越えられます」

プロのマウンドが刻々と近づく。
「注目されているとしても、実力とは思わない。
ナックルもまだまだプロのレベルじゃない」。
今春からは県内の通信制高校で学びながら、球団職員宅から練習に通って
「一日中、野球に集中する」

誕生日は1月17日。阪神大震災があった日と同じだ。
「神戸のチームに入団できたのも、何か運命的なものを感じます。
私のピッチングで、チームを応援してくれる皆さんの期待に応えたい」

父勇さんは、「研究熱心でまじめ。自分でナックルボールの映像を見て
考えたり、練習メニューも組み立てたりしていた。
協力はしたけど、『練習しろ』と強制したことはなかった」と振り返る。

元阪神投手の中田良弘・神戸9クルーズ監督は、
「入団の意志を尋ねると、『転校してでもやりたい』と、
本気でプロに挑戦する気持ちを感じた。
体力と精神を鍛え、長いイニングを投げられる投手に育てたい。
女子選手の可能性を切り開いてほしい」と期待。

http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20090101ddlk28050009000c.html

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

失敗を繰り返す野球プロリーグ

オーストラリア・・・・・・・1989年発足~1999年解散。
カナダ・・・・・・・・・・・2003年発足~即解散。
イスラエル・・・・・・・・・2007年発足~2008年休止。
台湾・・・・・・・・・・・・1989年発足~2008年八百長発覚で4球団に縮小。
中国・・・・・・・・・・・・2002年発足~入場無料なのにガラガラ
韓国・・・・・・・・・・・・1982年発足~ガラガラで解散間近。
プエルトリコ・・・・・・・・1938年発足~2007年休止今年一時的再開だが低迷。
キューバ・・・・・・・・・・1878年発足~1961年解散。
ニカラグア・・・・・・・・・1956年発足~1967年休止。2004年3チームで再開するが低迷。
アメリカ・・・・・・・・・・1876年発足~視聴率低下が止まらず。
日本・・・・・・・・・・・・1936年発足~視聴率低下、ファンの高齢化が止まらず。税制優遇受けても殆どの球団が赤字。