2009年4月8日水曜日

4都市 五輪招致PR本格化

(読売 4月1日)

デンバーで行われた国際オリンピック委員会(IOC)理事会及び
国際競技連盟関連会議。

2016年夏季五輪に立候補している東京、シカゴ、リオデジャネイロ、
マドリードの4都市が、PRブースを開設して招致演説を行うなど、
2月の立候補ファイル提出後初の本格的な招致活動を展開。

得点を挙げたのは、失地回復に成功したシカゴと、
招致演説で評価を得たリオデジャネイロで、
ロビー活動が苦手な東京は、やや印象が薄いままだった。

招致演説後の4都市の記者会見が象徴的。
記者が詰めかけたシカゴとリオに比べ、直後の東京は参加者が激減した上、
前口上もなく短時間で終了。
計画の良さや政府の財政保証など質の高い内容を持ちながら、
国際的にアピールする好機をつかみ切れていない状況が浮き彫りに。

シカゴは、直前に米国五輪委(USOC)のジム・シェアCEOの辞任
突然発表されたこと、IOCとUSOCとの米国向けテレビ放送権料・
TOPスポンサー収入分配比率見直し問題をめぐり、
IOCの不満が募っていたことなど、招致の行方に暗雲を投げかける
事態を抱えてのデンバー入り。

しかし、ロゲIOC会長とプロブストUSOC新会長のトップ会談で、
13年以降に交渉を開始することで合意。
事実上の「延期」に近いものの、招致と切り離すことに成功。
プロブスト会長が焦げ付いた事態を収拾し、指導力を発揮したことで、
CEO問題で生じたUSOCへの信頼のかげりもある程度払拭。

リオデジャネイロは、招致を率いるカルロス・ヌズマンIOC委員
(ブラジル五輪委会長)が積極的な対話と招致演説で、
「五輪運動に歴史を刻み、次なる扉を開ける機会に」、
「南米の貧しい子どもたちに、スポーツの普及は大きな力になる」
などとアピール。
IOC委員や周囲の関係者の情に訴え、共感を得ることに成功。

東京は、ユーモアを利かせた招致演説や、ハイテクを使った
PRブースなどは好評だったものの、IOC委員と招致委幹部が
個人レベルのつながりを培い、なぜ東京か、という部分で
心に届く訴えが出来たかは疑問。
マドリードとともに控えめな印象。

シカゴ以外の都市は、母国語が英語でないことを考えれば、
言葉の壁とばかりも言っていられない。

http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/syouchi/sy20090401_01.htm

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