(朝日 2009年4月3日)
「弱いといわれる岩手の野球を、岩手の選手で変えてみせる」
春の甲子園で準優勝した花巻東の原動力は、チーム一丸のそんな思い。
選手は全員、県内出身。
東北勢初の優勝には一歩届かず、涙で目を真っ赤にしたが、
岩手代表として初めて決勝を戦った姿に、
甲子園のスタンドも、岩手の街もわいた。
選抜大会の岩手勢は、84年のベスト4が最高。
以後は今大会まで1勝もできず、夏も初戦敗退が6年続く。
花巻東も、過去に4度甲子園に出場、県内実力校の一つに過ぎなかった。
岩手出身の佐々木洋監督は、岩手の子どもだけで甲子園で勝つという
「誰もやったことのない目標」にこだわってきた。
集まるのは、その姿勢に共感した選手が中心。
中学時代にシニアリーグで活躍し、強豪私立からの誘いを断ってくる選手も。
右翼手の佐藤隆二郎君(3年)もその一人。
「うちのチームは、岩手を背負って戦える。
岩手が弱くないということを証明したい」
エース菊池雄星君(3年)は、首都圏や関西からも相次いだ勧誘をけって
花巻東を選んだ。「佐々木監督を男にしたかった」
菊池君は、07年夏に甲子園のマウンドに立ったものの、初戦で敗退。
昨年は、春夏とも甲子園を逃した。
秋の東北地区大会では、岩手から県外に進んだ投手と投げ合って負け、
菊池君は号泣した。
その悔しさがバネになった。
冬、室内での筋力トレーニングや打撃練習に黙々と取り組み、
選抜出場が決まると、三重県に合宿して実戦的な守備練習を繰り返した。
速球で押していた菊池君は、スライダーなどで緩急をつけることを覚え、
テンポよく投げる投球リズムも身につけた。
今大会は、1回戦から準決勝まで31回2失点。
速球は、最速150キロを記録。
この日も9回を1失点。
控え選手が分析したデータをもとに、
バックも打者ごとに守備位置を変え、堅守でもり立てた。
「勝つたび、岩手の皆さんが喜んでくれるのがわかった。
今日も勝ちたかった」
試合後、震える声で話した菊池君は、
「明日から練習して、夏、優勝旗を取りに戻ってきたい」
その時まではと、甲子園の土は持ち帰らなかった。
http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200904030218.html
0 件のコメント:
コメントを投稿