(毎日 9月9日)
埼玉県志木市のグラウンドで、大宮アルディージャの
斉藤雅人(33)は、若手に交じって汗を流していた。
埼玉・武南高、駒大を経て98年に大宮の前身、
NTT関東サッカー部に入ったチーム最古参。
プロ選手が当たり前のJリーグで、
親会社のNTT東日本から出向社員の形でプレーを続けている。
斉藤の入社当時、チームはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に
所属し、選手は社員で構成。
1年目は、午前中にNTTの支店で働き、午後から練習。
チームがJ2に参入した2年目以降は、競技に専念。
周囲が次々とプロ契約を交わす中、
「社員の契約でも試合に出られるし、サッカーをしていることには
変わりない」と独自の道を歩んだ。
Jリーグの登録区分には、プロとアマチュアの二つがあり、
プロは契約形態が5分類。
アマチュアは、「報酬や利益を目的としない選手」をいい、
斉藤は、「法人と雇用契約のみを締結した選手(社員選手)」に
該当、登録上はプロに区分されるが、一般的なプロとは一線を画す。
「故障などの心配があり、父からは高校、大学にサッカーで
進むことに反対されたが、押し切ってきた。
最後の就職のところでは、安心してもらいたかった」
きまじめな父・一男さんの影響が大きかった。
公式戦は、300試合以上に出場。
仮にクラブと通常のプロ契約を結んでいれば、
高額報酬を得られたかもしれないが、
「僕のスタイルだし誇りを持っている。
本当のプロにも負けていない仕事ができていると思う」
斉藤の武南高時代の1年先輩、FC東京の浅利悟(35)も
同様の道を選び、97年に前身の東京ガスに入った。
「プロに踏み切れる自信がなかった。
でもサッカーを離れたくなかったし、東京ガスは強豪で、
社員でもサッカーができた」という理由。
だが、年齢を重ねて不安も芽生えている。
浅利は、「社員選手は将来が安泰と言われるが、
会社に戻っても何ができるか分からない。
経済情勢は厳しいし、同期たちとの差もついている」
大宮やFC東京は、企業チームが母体で、Jリーグに参入、
プロと社員の併存が生まれた。
欧州の下位リーグなどでは珍しくないが、Jリーグではごく少数。
引退後、社業に戻る選択肢もあるが、斉藤も浅利も
将来はクラブに残って自身の経験を還元したい。
ともに30代半ば。
将来の身の置き場を考える時期に来ている。
http://mainichi.jp/enta/sports/general/general/archive/news/2009/09/09/20090909ddm035050139000c.html
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