(2009年9月8日 毎日新聞社)
関西学院高等部の公民科教諭、古田晴彦さん(52)は現在、
高校1年生の「現代社会」の授業などで、
人間の生と死について考える
「デス・エデュケーション」に取り組んでいる。
「人は生まれたときから死に向かっているのに、普段は気づかない。
死を意識してこそ、有限である命を大切にし、
そしてどう生きるかを考えることにつながる」
古田さんの原点は、96年突然、
妻の恵理子さんにがんが見つかったこと。
「多分、がんだと思うって言われた」
恵理子さんは、「怖いよ」と震えながら泣いた。
古田さんも、「目の前が白黒写真になったような」大きな衝撃。
恵理子さんは当時35歳。二人の娘は、8歳と3歳。
治るのか、入院中の生活は……不安が押し寄せた。
9時間の手術を受け、抗がん剤を投与する化学療法が始まった。
恵理子さんの看病と、家事・育児を優先する決意、生活は一変。
職場の理解もあり、授業時間の調整などで協力。
経験したことのない感情の浮き沈みも。
悪い知らせの方が多くても、「手術が成功した」と聞けば、
良い情報だけに飛びついてしまう。
「5年生存率は……」といきなり現実を突きつけられ、
すぐには受け入れられずに落ち込むことも。
子どもの前では涙は見せられないと、病院のベンチで
一人涙を流した後に帰宅したことも。
家族のきずなが、慌ただしい生活を支えてくれた。
古田さんと恵理子さん、長女の3人で交換ノートを作り、
交代で一日の出来事を書いた。
「早く退院しよう」、「月末には外泊しよう」
目標を作っては達成するたび喜んだ。
「絶対に治す」と、入退院を繰り返していた恵理子さんは、
家族の励ましを糧に何度も危機を乗り越えたが、がんは進行。
2回目の大きな手術を経た99年、
医師から「がんの治療はおそらくもうできない」と、
古田さんは初めてがんの転移が分かった時、
恵理子さんが話していた言葉を思い出した。
「もし治療をしても助からないのであれば、
(痛みや不快な症状を和らげる治療)ホスピスに入れてほしい」
古田さんは、ホスピスへの転院と共に、
家族で死に向き合う準備を始めた。
× ×
古田さんは、02年に出版した「『生と死の教育』の実践」第1章で、
恵理子さんの闘病を紹介。
問い合わせは清水書院(03・5213・7151)。
http://www.m3.com/news/GENERAL/2009/9/8/107284/
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