(サイエンスポータル 2010年1月4日)
縄文文化の常識を覆したことで知られる三内丸山遺跡を、
当時の縄文人が放棄せざるを得なかった理由は、
寒冷化による植生の変化であることが、
東京大学の研究者たちによって突き止められた。
川幡穂高・東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
(同大学海洋研究所教授)らは、日本最大級の縄文集落跡、
三内丸山遺跡の当時の気候を調べるため、
遺跡から20キロ離れた陸奥湾の堆積物(水深61m)を採取。
海底の堆積物は、環境の変化を連続的に記録、
正確な年代や水温決定ができる。
この結果、三内丸山遺跡が栄えた約5,000年前、
遺跡付近の海水温は今より2.0℃ほど温かったが、
4,200年前に突然寒冷化した。
2.0℃の水温差は、当時の遺跡付近の気温・海水温が230キロ南、
今の仙台あるいは酒田付近の気温・水温。
現在、大きな実のなるクリ林は、山形県、宮城県南部以南に限られ、
当時は三内丸山遺跡付近でも大きなクリが採れたことを裏付ける
これまでの遺跡発掘調査結果とも符合。
川幡教授らは、三内丸山の集落が成立したと言われている
約5,900年前に陸の気温が急に上昇、
特にドングリやクリなどが繁茂、海産物も豊富に採れるように
なったことが、三内丸山のような大集落を可能に。
日本全体の人口は、縄文時代最初期(12,000年前)の
約2万人から、三内丸山遺跡が存在した縄文時代中期には
ピーク(約26万人)に達し、晩期には再び減少(約8万人)。
これは、三内丸山遺跡の盛衰と合う。
三内丸山遺跡付近が、急に寒冷化したのと
ほぼ同時期(4,000-4,300年前)には、中国の長江周辺や
西アジアのメソポタミアなどの文明も衰退、
アジアの中緯度域でほぼ同時に見られたこれらの現象は、
寒冷化、乾燥化などの影響が原因かもしれない。
現在、地球温暖化対策では、世界の平均気温上昇を
約2.0℃以内に収めることが大きな目標、
年平均気温での2.0℃という気温変化、速いスピードでの変化は
一次産業などが主体の共同体に大きな衝撃をもたらすことが
懸念される、と川幡教授らは指摘。
http://www.scienceportal.jp/news/daily/1001/1001041.html
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