(2010年4月28日 共同通信社)
1989年まで続いたチャウシェスク独裁政権末期、
輸血や注射針の使い回しで、7千人とも1万人ともいわれる
多数の乳幼児が、HIVに感染したルーマニア。
長く生きられないと思われた子供らは、
治療方法の発達で健康を取り戻し、多くが成人。
社会の偏見は根強く、今もほとんどが職に就けない。
「ふつうに暮らしているのに...」
若者らは、やり場のない思いを抱えている。
ルーマニア東部のコンスタンツァ郊外、「明日の家」。
日本の民間団体の援助で、HIVに感染した20~23歳の
男女12人が、寮母の世話を受けて暮らす一軒家。
「みんなが家族のようなもの」
アシカ・アイシェさん(23)が居間を見渡す。
好きな音楽を聴いたり、携帯電話でメールをしたり、
仲間は思い思いにくつろぎ、笑顔が絶えない。
アイシェさんには、大切な日課がある。
毎朝夕、仲間への治療薬配布。
自らは母親に捨てられ、幼少期に病院でHIVに感染。
「あの子はエイズ」。
そんな言葉を投げ掛けられた。
「人々は、私たちを怖がっているの」
チャウシェスク政権は、「人口こそ国力」との発想から、
女性1人につき5人の子供を産むよう政令で命じ、
後に「チャウシェスクの子供たち」と呼ばれる捨て子が続出。
多くが栄養失調だったのに、食料は慢性的に不足。
栄養補給と称して輸血が行われたが、
HIV感染者の血液も混ざり、感染が爆発的に拡大。
「当時、病院は瀕死の子供であふれ、
多くがその後の20年を生き延びた」
コンスタンツァで、エイズ治療に携わってきた
ロディカ・マトゥーシャ医師(67)。
同国では96年、複数の治療薬を服用するカクテル療法が
始まって、状況が大幅に改善、
HIVに感染した乳幼児のうち、3分の2が無事に成人。
入社時、血液検査を求める企業もあるなど、
「就職時の差別が最大の問題」(マトゥーシャ医師)。
コンスタンツァでは、感染者の若者の9割が職に就けず、
月約700レイ(約2万1千円)の社会保障が頼り。
「明日の家」では、職のない若者に野菜栽培などの仕事を
割り当てている。
ダニエル・ストヤンさん(22)もその一人。
物心ついた時から、小児病院で育った。
成人し、街で車を洗う仕事を始めたが、
ある日「もう来ないでくれ」と。
「どこかで僕の話を聞いたんだろう。
でも、過去を振り返っても悲しいだけ。
家を見つけ、家庭を築くのが夢なんだ」
http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/4/28/119622/
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