2010年5月15日土曜日

インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/3

(毎日 4月29日)

長野県を貫く中央アルプスの最高峰、木曽駒ケ岳の東に
位置する宮田村に、ジュニア向けスケート教室
「宮田スケートクラブ」はある。
中学生になった小平奈緒は、新谷純夫さん(60)が指導する、
このクラブの門をたたいた。
新谷さんは、バンクーバー五輪に出場した新谷志保美の父。

「強い選手がいると聞いて、父とクラブの練習を見に行ったら、
新谷先生がこうしろ、ああしろ、と厳しく指導。
やってみたいな、と思った。
スケートの技術を教えていることにひかれた」と小平。

中学のスケート部活動が終わると、一目散に帰宅。
夕飯をすませ、車で出発。
父・安彦さんか母・光子さんの運転で、茅野市の自宅から
片道1時間半の峠越えドライブ。
練習後、自宅に帰り着くのは夜10時を過ぎる。
この生活を3年間続けた。

宮田クラブの近くにリンクはないが、ローラースケートで技術を教え、
新谷さんの自宅そばの急坂でダッシュをしたり、
自宅のウエートトレーニング場に据え付けられた、
自転車エルゴメーターやスライドボード、ウエート機器を使って鍛える。

滑る技術を学んだ小平は、急速に進歩。
中学1年の1シーズンで、500mのタイムは5秒も短縮。
「力任せだったのが、『どうやってスケートを滑らせるか』を、
初めて覚えたのでしょう」と新谷さん。

小平が中2のとき、才能は全国に知れ渡った。
地元の茅野市で開催された、14~19歳の全日本ジュニア選手権、
高校生や大学生を押しのけ、女子スプリント部門で優勝。
バンクーバー五輪で、当時中学生で出場した高木美帆が
話題を集めたが、小平も当時「スーパー中学生」と注目。

中学の進路相談で、小平は伊那西高志望を伝えた。
東海大三や佐久長聖など、県内のスケート強豪校からも
誘いを受けたのに、あえてスケート部のない伊那西を選んだのは、
「信州大受験を考えていて、進学コースがあったから」
強豪校だと、スケートだけになっちゃいそうで

伊那西は、宮田村の隣町、伊那市にある。
スケート部はなくても、新谷さんの指導を受け続けられる、
ということも背中を押し。

高校では、スケート同好会としてインターハイに出場、
高3で短距離2冠を達成。
この2冠で再び脚光を浴びたが、小平は内容に納得せず、
大学でスケーティングを変えることを思い立つ。

新谷さんは、「選手なら、だれでも経験する停滞期が高1、高2で来た。
停滞期に、新たな技術を教えても実にならないから、
体力トレを主体にした。
3年の時、いままでの財産で勝てるようアドバイスしたが、
技術は教えていない。
伸びしろを十分残して、結城さん(信州大監督)につないだ」

だれもが認める潜在能力を、促成栽培せずにじっくり育てる
周囲の指導方法は、小平には合っていた。

http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20100429ddm035050004000c.html

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