(東海新報 5月12日)
大船渡市の㈱菊池組事務所の入口付近に、
俳人・松尾芭蕉が、江戸時代前期に訪れたとされる
平泉を表現したジオラマが設置。
同社従業員が、建設現場での廃材を生かして制作、
気仙にもゆかりがある平泉文化の世界遺産登録に
エールを送りながら、ものづくりの楽しさもアピール。
松尾芭蕉は、元禄2年(1689)旧暦5月13日、平泉に来た。
11世紀末、奥州藤原氏が繁栄を築き上げた地を訪れ、
夏草が生い茂った光景を前に、「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだ。
かろうじて繁栄をうかがわせる中尊寺金色堂は、
「五月雨の降り残してや光堂」と表現。
いずれも「奥の細道」に収められている。
同社では、芭蕉が東北を巡った季節に合わせ、
「歴史を見つめ直してほしい」との思いから、
従業員が2週間ほどかけて制作。
費用はほとんどかけず、建設作業で使わなくなった
資材を生かしながら、手づくり感に溢れるジオラマを仕上げた。
草地代わりに使っている緑色の布は、道路脇の斜面に
設置されている「防草シート」の切れ端を活用。
現場に合わせて切り取られ、中途半端な長さは
そのまま捨てられることが多い。
樹木の枝葉として使い古した竹ぼうきを使い、
道路に落ちていた小石や缶も、池を囲む石垣などに変身。
同じく廃材の板には、芭蕉が詠んだ句を記している。
同社では、奥州藤原氏の第三代当主・藤原秀衡が
平等院鳳凰堂(京都)に倣って建立した無量光院や、
平泉文化を象徴する国宝・中尊寺金色堂の模型を制作、
現在も入口前に設置。
余った建築資材や生活雑貨を使って完成させたもので、
リサイクルによる同社の「平泉文化」は、広がりを続けている。
金色堂に使われた金の一部は、当時代表的な産金地帯であった
気仙地方のものとされ、展示によって世界遺産登録への
応援ムードを盛り上げたい狙い。
同社では、「子どもたちに、ものづくりの楽しさを伝えたい思いも。
ごみであっても、手を加えることで、面白い作品ができることを
感じとってほしい」
http://www.tohkaishimpo.com/
0 件のコメント:
コメントを投稿